猫の恩返し
作・富士


「氏名、中野誠」
誠の由来を中学生のときに親父に聞いたことがある。俺が生まれたときちょうど新撰組にはまっていて、
その新撰組の旗印に描かれていた「誠」の字が気に入ったので、息子である俺の名前に使ったらしい。
俺自身もこの名前は気に入っている。

「生年月日、1984年8月19日」
夜中に産まれたらしく、お袋に「大変だったのよ〜」と愚痴をこぼされたことがある。
「俺の知ったこっちゃねぇ」と返事しておいた。あまり自慢にならないので内緒にしているが、
ふかわりょうと同じだったりする。

「趣味、読書・ボーリング・プロ野球観戦・猫と遊ぶ」
本を読むのは好きでとくに推理小説がお気に入り。ボーリングはアベレージ130で最高207。
プロ野球はヤクルトスワローズのファンでとくに古田が好きだ。神宮球場には小遣いの許すかぎり見に行っている。
親父が筋金入りの巨人ファンなので、ヤクルト−巨人戦を二人でテレビ観戦するときはいつでも言い合いしている。
猫は飼ってないが、街で見かけると必ずと言っていいほど触ろうとする。

他の項目の記入も終わり、履歴書を書き終えるのとほぼ同時にお袋の大きな声が1階から聞こえてきた。
「まこと〜、先生いらっしゃったわよ〜」
「わかった」
返事をし、履歴書を引き出しにしまう。しばらくするとノックがあり
「誠君、入るわね」
廊下で先生の声がする。
「どうぞ」
俺が返事をすると、ドアが開き俺の家庭教師・根本律子先生が入ってきた。いつもと同じ、
白いTシャツにGパンというラフな格好。俺がそれを指摘する。
「律子さん、いつも同じ格好だね。たまにはオシャレしなよ」
「うるさいわね。誠君相手にオシャレしてもしょうがないでしょ。私だって彼氏の前ではちゃんとオシャレするんだから」
「え?律子さん彼氏いるの?」
「いないわよ。できたら綺麗な格好するって言ってるの。そんなことはいいから、授業始めるわよ。
今は律子さんでいいけど、授業の時はちゃんと先生と呼びなさいよ。」
「分かってますよ。律子先生」
いつものくだらない雑談が終わり、授業が始まる。
「今日は古文と日本史のどっちをやりたい?」
律子先生が俺に選択を迫る。
「どっちもやりたくない」
「そうはいかないでしょ。どっちにする」
さらに選択を迫る律子先生。俺はしかたなく
「そうだなぁ。日本史は1人でも出来るけど、古文はそうもいかないからなぁ。古文かな」
「じゃあ古文ね。早速始めるわよ」
そして授業が始まった。


 1時間が経ち、授業終了。
「終わった〜。今日も疲れた〜」
俺は椅子に座ったまま伸びをする。
「『今日も疲れた〜』じゃないわよ。全然授業に集中してなかったじゃないの。
予定の半分しか進んでないわよ。残りは宿題だからね」
そう言うと、律子さんが椅子から立ち上がった。
「さてと。私はお母さんの夕飯の支度のお手伝いしてくるから、出来るまで今日のところ復習しておくのよ」
律子さんの言葉に俺は軽く反論する。
「夕飯の支度なんてお袋に任せておけばいいよ。それより少し話そうよ」
「そういうわけにはいかないわよ。タダでご馳走になってるんだからこれくらいはしないと」
「見た目は今時なのに中身は古風なんだよな〜、律子さんって」
「親の躾がいいのよ」
「自分で言ってるよ」
自分で言って照れたのか、律子さんは俺の言葉が終わらないうちに下に降りて行った。

律子さんは変わっていて、「家庭教師は初心者なのでバイト代はいりません」と初めて家に来たときにお袋に言っていた。
だからこそウチのような普通の家で家庭教師なんてものを雇うことができたのだが。
さすがにタダでは悪いので、夕飯をご馳走することになったのだ。
そういえば初めてウチに来たときもTシャツにGパンだったな。全然変わってないや。
などと、律子さんに言われた復習そっちのけで数ヶ月前の出来事を思い返していると、律子さんの俺を呼ぶ声がした。
「用意できたから降りてらっしゃい」
「すぐ行きま〜す」
返事をすると俺は部屋を出て1階に降りて行った。

翌日。俺はバイトの面接を受けるため、学校から帰宅するとすぐに私服に着替え、
昨日書き上げた履歴書を持って面接会場のレストランへ向かった。面接は10分ほどで終わり、
俺は採用されることになった。店の名は「ピュアキャロット100号店」。学校からの帰り道にあり、
時給もいいので選んだのだが、人気の店らしくバイトは大変だった。でも俺は耐えた。
自分でも驚くほど耐えた。それは目的があったからだ。「夏になったら、律子さんを海に誘う!」という目的だ。
新しい海パン・交通費・食事代いろいろ金がかかる。俺の小遣いでは到底足りない。
そこで、高校で禁止されているにもかかわらずバイトを始めることにしたのだった。だから親にも内緒にしている。


バイトを始めて数ヶ月が経ち、貯金も出来てきたので、いよいよ律子さんに海に行こうと誘うことにし、
授業の終了と同時に切り出した。
「あのさ、今度の木曜日って暇?大学生だから忙しい?」
「とくに用事は無いけど。何?デートのお誘い?」
「するどいな。よかったらさ、一緒に海に行かない?」
「海〜?山のほうがいいなぁ」
断られはしなかったけど、まさか山がいいと言われるとは思わなかった。多少戸惑ったがもう一押しすることにした。
「海行こうよ、海。海のほうが楽しいって。泳げるしさ」
俺の言葉に律子さんの顔が一瞬曇る。それを俺は見逃さなかった。はは〜ん、そういうことね。俺はそこを攻めることにした。
「あれぇ?律子さんもしかして泳げないの〜?」
「お、泳げるわよ」
「本当に〜?信じられないな〜」
「ほ、ほんとに泳げるわよ」
明らかに律子さんの声は動揺していた。
「じゃあいいじゃん。海行こうよ」
さらに俺がしつこく海に行こうと誘うと、諦めの表情で
「誠君には負けたわ。分かったわよ。海でいいわ」
とうとう律子さんが陥落。俺は心の中で「やった〜!」と小躍りしていた。
「顔がニヤけてるわよ。まったくしょうがないわね」
「律子さんと海に行けるのを喜んでただけだよ。別に下心なんてないよ」
「誰も下心があるなんて言ってないわよ。墓穴掘ったわね」
「うっ・・・・・」
完全に俺の負けだ。気を取り直して、集合場所と時間を決め、その日の授業は終わった。

 そして待ちに待った木曜日。天気は快晴で泳ぐには最高の日になった。
時間通り集合した俺と律子さんは電車を乗り継ぎ湘南に到着。着いてすぐに2人とも水着に着替えた。
着替えて俺の前に現れた律子さんはまるで別人のようだった。白いビキニの水着・見事なプロポーション・真っ白い肌、
俺は思わず息を飲んだ。
「どう?似合う?」
グラビアでありそうなセクシーポーズをとる律子さん。
「綺麗・・・・」
思わず口をついて出る。
「照れるじゃないのよ。そんなにジロジロ見ないで」
そう言いながらも褒められたのは嬉しいらしい。次々とポーズを変えている。しばらくその姿に見とれていたが、
せっかく海に来たので泳ぐことにした。結局泳いだのは俺1人だった。律子さんにも泳ごうと誘ったのだが、
泳げない律子さんは頑として聞き入れなかった。
まぁ、「律子さんを海に誘って水着姿を目に焼き付ける」という目的は達成したので、
一緒に泳げなかったのは残念だが、満足ではあった。


一緒に海に行ってから月日はあっという間に過ぎ、大学入試を1ヶ月後に控えた頃、俺は律子さんへの告白を決意した。
「律子さん、俺・・・その・・・え〜と」
普段は気軽に話しているのになかなか言葉が出ない。
「どうしたの?」
俺の様子が普段と違うことを察して律子さんが心配そうに声をかけてくる。俺は1度深呼吸をして、
落ち着いたのを確認してから律子さんに告白した。
「律子さん、前から好きでした。俺と付き合ってください!」
とうとう告白した!「自分で自分を褒めてあげたい」と言った人がいたが、
まさに今の自分を俺は褒めてあげたい!と思いつつ、律子さんの返事を待った。
律子さんは一瞬困惑したような表情をしたように見えたが、次の瞬間にはいつもの顔に戻り、
「そうね。大学に合格したら考えてあげてもいいわよ」
とそれだけ言うと黙ってしまった。
「俺頑張るよ。絶対第一志望校に合格してみせる!」
結局この日の会話はこれが最後だった。

残りの1ヶ月、俺は死に物狂いで勉強した。バイトも辞めた。クリスマスも正月もなく机にかじりついて必死に勉強した
「大学に合格したら律子さんと付き合える」それだけが支えだった。そして1ヶ月間の追込みが効いたのか、
見事に大学に合格した。しかも第一志望の大学。

合格発表は律子さんと一緒に見に行った。周りに大勢の人がいることも忘れ2人で抱き合って喜んでいた。
2人とも落ち着いたところで律子さんに声をかける。
「明後日俺のウチに来てよ。2人だけで合格祝いしたいからさ。明後日俺の両親家にいないんだ」
もちろん俺の目的は決まってる。律子さんも分かっているはずだ。俺は律子さんの答えを待った。
律子さんはしばらく考えていたが「分かったわ」と一言だけ言った。

そして2日後。律子さんが予定の時間より30分早くやって来た。
俺は律子さんを自分の部屋に待たせ、買っておいたケーキを持って部屋に戻った。
「お待たせ。じゃじゃ〜ん。奮発しちゃった」
緊張をほぐすため、いつもより明るく言った。それで律子さんも多少落ち着いたようで、いつもの明るさを取り戻しつつあった。
「合格おめでとう!これ、合格祝いよ」
律子さんが差し出した包みを開けると、中には持ち運べるサイズのMDが入っていた。
「ありがとう。でも、どうせなら体にリボン巻いて『プレゼントは私よ』なんてやってほしかったな」
「何言ってるの。そんなことするわけないでしょ」
ここにきて、俺と律子さんはいつもの調子を取り戻していた。いつもと同じくだらない雑談をしばらく続け、
いいかげんネタが尽きた頃、俺と律子さんが同時に黙ってしまった。一瞬の静寂の後、律子さんが目をつむった。
いよいよか。俺は律子さんの肩に手を置き顔を近づける。
相手に聞こえてしまうんじゃないかというほど胸の鼓動が速く大きくなる。俺は覚悟を決め律子さんにキスをした。
生まれて初めてのキス。しかも俺の人生18年で1番好きになった人と・・・ 唇を離し、2人頬を染める。
改めてそこから先に進もうとする俺に律子さんが待ったをかける。
「シャワー浴びてくるわ。だからちょっと待ってて」
「そんなこといいから続きを・・・」
「よくないわ。とにかく待ってて。絶対覗いちゃダメよ。絶対だからね」
そう言うと、律子さんは風呂場へ向かって階段を降りて行った。

「絶対覗いちゃダメよ」と言われて素直に覗かないのは100人に5人もいないだろう。
俺はもちろん残りの95人の1人なので、風呂場へ向かった。当然律子さんに気づかれぬよう足音に気をつけながら。
そして洗面所と風呂場のあるドアの前に到着。細心の注意を払いドアを開ける。
ドアを開けると風呂場の電気が点いている。俺はガラス越しに中を覗き込む。
が、そこにあるはずの律子さんのシルエットが見当たらない。もしかして倒れてるのか。
不安になった俺は思わず、風呂場のドアを開けた。するとそこにいた者は
「ね、ねこ〜?」
自分でも驚くほど素っ頓狂な声で叫んでいた。すると猫も叫ぶ。
「ニャ、ニャ〜!」
俺は顔を引っ掻かれた。パニック状態なので痛みはほとんど感じない。
得意の深呼吸で呼吸を落ち着かせ、まず最初にしなくてはならないことを考える。
「そ、そうだ。律子さんはどこだ?律子さん探さないと。猫にかまってる場合じゃない」
急いで風呂場を出ようと猫と反対の方を向いた途端、後ろで律子さんの声がした。

「覗いちゃダメだって言ったのに! まったく・・・」
「え?」
思わず後ろを振り返るとそこには全裸の律子さんが険しい表情で立っていた。
「あれ?猫は?」
律子さんに質問する。
「まだ気付かない?今の猫が私よ」
「は?猫が私って・・・ えぇ〜」
「まぁ、急にそんなこと言っても分からないだろうから順を追って説明するわ」
そう言うと、律子さんの格好をした猫?は語り始めた。
「私はね、1000年以上生きている猫なの。人間が言うところの化け猫かしら。500歳を過ぎた頃、
人間に化けれるようになったの。それで、人間に化けてバイトしたり、猫として人間に飼われたりして今まで生きてきたわけ。
まぁ前置きはこれくらいにして本題に入るわね」

とここまで一気に話したあと俺のほうを向き
「今の猫に見覚えない?」
と質問してきた。
「今の猫に見覚えって? 初めてだと思うけど」
俺の答えにちょっとがっかりしているようだった。
「そっか。まあいいわ。話を続けるわね。一昨年の12月のある雨の日、私はしばらくエサが食べられなくてフラフラしていたの。
それで知らないうちに車道に飛び出した。
死を覚悟した私を自分の命を顧みず助けてくれたのが誠君だったわけ。覚えてない?」
そこまで聞いて俺は思い出していた。そう、一昨年の冬。確かに俺は車に轢かれそうになっていた猫を助けた。
命を顧みずというよりも体が勝手に動いていたんだけど。

「命の恩人である誠君に何か恩返しがしたいと思っていたら、誠君のお母さんが、
誠君の大学受験で家庭教師を探しているのを知ってこれだっ!って思ったわけなのよ。
それにしても助かったわ、誠君の苦手教科が古文と日本史で。
これなら私得意だから。なんといっても1000年生きてるからね。当然恩返しだからバイト代ももらわなかったわけ。
あと、去年の夏2人で海に行ったわよね。そのとき私泳がなかったでしょ。
あれはね、私のこの人間に化けられる能力って水に浸かると解けて猫に戻るのよ。
だからあなたに助けられたときも猫の姿だったし。今日シャワーを覗かないでって言ったのも同じ理由よ。私の話はこれで終わり。分かった?」
口では「分かった」と答えたが、当然すぐに理解できるものではなかった。
頭の中ではいまだに「?」が渦巻いている。しかし、俺のそんな様子を無視して律子さんは言葉を続けた。
「正体バラしたし、私もう行くわね。今まで楽しかったわ」
「そ、そんな・・・ 化け猫でもいいからウチにいてよ」
「アハハハハ。化け猫でもいいからっていうのはよかったわね。残念だけどそうはいかないのよ。さようなら」
「じゃ、じゃあ、最後にもう一度だけキスしよう。それならいいだろ」

俺の言葉に彼女がうなづく。そして、最後のキス。
「これで本当にお別れ。誠君のこと本気で好きになりかけてたわ、私。
だから、これ以上誠君といると自分が化け猫ってこと忘れて誠君に惚れてしまうと思ったの。
それでわざとシャワー覗くように仕向けて・・・ あなたに正体ばらして・・・ ごめんなさい」
「そんなこと関係ない。俺は律子さんのことが大好きだ!」
「律子でいいわ。誠」
「律子・・・ 元気でな」
「誠、あなたもね」
そして律子さん、いや律子は猫の姿に戻り外に出て行った。

あれから1年。俺は今大学生になって、学生生活を満喫している。
お袋は律子のことを覚えていなかった。たぶん律子が記憶を消したんだろう。
律子とは二度と会えないかもしれない。しかし、俺は忘れない。そしていつまでも
「律子〜!俺は待ってるぞ〜」
吸い込まれそうな青い空に向かって俺は叫んだ。


−完−


あとがき
私の作品に多少なりとも関心を持ってくださる方がいらしたので、また書いてみました。
いかがだったでしょうか?
前回は会話が全く無かったので比較的楽に書けたんですが、今回は会話が多かったのでかなり苦労しました。
難しいですね会話って。特に男女は。
感想・ご意見お待ちしていますので、よろしくお願いします。