陰謀
作・富士


元和ニ(1616)年、大阪夏の陣により豊臣家が滅んだ翌年、東北のとある小さな藩での出来事。

戸沢藩主・戸沢守親が家臣達の待つ広間に入ってきた。そしていつもの上座の位置に座る。
まず始めに守親の娘・燕(えん)姫が守親の前に進み、朝の挨拶をする。
「父上、おはようございます」
「うむ、おはよう」
守親が返す。
それを皮切りに家臣達が順番に守親に挨拶をする。ひととおり朝の挨拶を済ますと、
家臣の1人が守親の正面に歩いていき座った。
「殿、お知らせしたき儀がございます」
「何じゃ?申してみよ」
「はっ。昨晩またもや辻斬りが現れた由にございます。今月に入って3件目。もはや見過ごすことできませぬ」
「馬鹿者!燕姫の前でその話はするなと申したであろう!」
家臣が謝るのよりも先に、燕姫が守親の前に歩み寄ってきた。
「父上!辻斬りがまた出たのですか?もう許せませぬ。燕姫に辻斬り征伐をお命じくださいませ!」
「ならぬ!そちはこの城の姫じゃぞ。そのようなことは断じてならぬ」
「しかし父上・・・」
「しつこいぞ!たしかにそちには剣術を習わせた。
関ヶ原で東軍の家康公が勝ったとはいえ秀頼様はご健在。
いつ再び戦乱の世に戻るか分からなかった。それで自分の身を自分で守るため、
小さき頃より我が藩の剣術指南役・森半兵衛にそちを教えさせた。
そちが他の誰よりも剣術の才能があり男どもを皆負かすので、陰で“暴れん坊姫”と呼ばれているのも知っておる。
しかしじゃ、昨年の戦で秀頼様は戦死なされ、今は徳川様の治める世じゃ。
この平和な世で女子に剣術は必要ない。
そちはおとなしく城の中におればいいのじゃ。辻斬りの件はこちらで考える」

守親の気迫に圧されながら、なおも燕姫は食い下がった。
「父上、今月で3件目。半年前に始まってからもう9件目でございます。
しかも最初は一月に1件だったのが先月は2件、今月は3件と酷くなる一方でございます。
このままでは父上に対する民の信頼が失われます。一刻も早く対処せねばなりません。
そのためにも私にやらせてくださいませ」
「こちらに任せろと言っておろう。これ以上しつこいと座敷牢に閉じ込めるぞ」
守親にこれ以上何を言っても無駄だと感じた燕姫は、「分かりました」と一言だけ言うと広間をあとにした。

もちろん燕姫はこれで諦めるつもりは無かった。民百姓を恐怖に陥れる辻斬りを、自らの手で成敗したかった。
しかし、今月はもう3件の辻斬りが発生していた。
これ以上今月は起こらないだろうと思い、守親の警戒を解くためにもおとなしくしていることにした。

すると数日後、城下町の人通りの多いところいくつかに立て札が立てられた。
“辻斬りを成敗した者に我が娘・燕姫と我が戸沢藩の家宝・名刀「村雨」を与える”
立て札にはそう書かれていた。
「村雨」とはこの世に2つと無いと言われる名刀であったのだが、それゆえに一度この刀を握ると、
その美しさに魅入られ自分の意思とは関係なく人を斬ってみたくなるという妖刀とも言われるものであった。
燕姫と村雨。まさに守親が自分の命よりも大事にしているものだ。その2つを与えるという。

燕姫はあせった。我が娘を与えるとはつまり燕姫と結婚し、ゆくゆくはこの戸沢藩の藩主になるということだ。
燕姫は十六、世間一般ではたしかに結婚してもおかしくはない。
しかし、燕姫にはまだ結婚願望というものはなかった。
(それにしても父上がこのようなことをするのであろうか?)
守親は他人の気持ちが分かる男だ。燕姫にまだ結婚願望がないことなど知っているはず。
(それだけ父上があせっているということか)
とにかく他の誰よりも先に辻斬りを見つけ出さないといけないと燕姫は思った。

翌月、しばらくおとなしくしていたおかげか守親の燕姫に対する警戒は薄らいでいた。
安心したのか、夜つけていた見張りもいなくなった。
夜、燕姫はさっそく城を抜け出すと辻斬りが現れたという地点の周辺を歩き出した。
目撃者の話では、背丈はそれほど高くなく黒い着物を羽織り、顔には般若の面をしていたという。
それゆえ誰かということは分かっていない。
しばらく見回りしてみたが結局辻斬りを見つけることはできなかった。
あまり長く城を留守にして誰かにいないことが見つかっては困るので、その日は帰ることにした。

2日目・3日目と毎日城を抜け出し辻斬りらしき人間を探したが、まったく見つけることはできなかった。
城を抜け出すようになって1週間が経とうとしていたある日、
いつものように城を抜け出す時に急に厠へ行きたくなった。
厠へ向かう途中、がたっと物音が聞こえてきた。
(盗人か?)
燕姫は物音がした部屋にそっと近づいた。そこは村雨が保管してある部屋だった。
燕姫は相手に気付かれぬよう気をつけながら、少し開いた障子の隙間から中を覗き込んだ。
燕姫の側からは背中しか見えなかったが、それには見覚えがあった。
(父上!)
燕姫は驚いた。なぜ父上がこんなところに?
しかも、その手は鞘を抜いた村雨を握っていた。
守親は、村雨が妖刀ということもありほとんど触れたことがなかった。
もちろん燕姫をはじめとする誰1人にも触れさせようとはしなかった。
それが握っているどころか鞘まで抜いている。
(なぜ父上があの妖刀を?)
いろいろ疑問は残ったが、まずは辻斬りを成敗することが先だと思い直し、
守親に気付かれぬようその場を立ち去った。

結局その日燕姫は辻斬りを見つけることはできなかったのだが、別の場所で辻斬りが現れ、
若い浪人が斬られた。
(もう少し足を延ばしておれば!)
燕姫は悔しがった。と同時に被害にあった浪人に助けられなかったことを心の中で詫びた。
(必ず仇は取ってやるぞ!)
改めて心に誓った。

さらに1週間が経ったが辻斬りは現れなかった。夜の町を見回りながらも、あの日の守親の姿を思い出していた。
(なぜ父上はあの夜あんな場所にいたのであろう?)
何度も自分に問い掛けるが納得できるような答えが出てこない。
(なぜ村雨を持っていたのか?)
誰にも触らせず、自分が触るのも嫌がっていたはずなのに・・・
(妖刀に触れて父上は大丈夫なのであろうか?)
“妖刀”という言葉が燕姫の心の中で大きくなってくる。
(まさか・・・)
燕姫の中を最悪の考えが支配する。
(あの優しい父上がそんなことするはずがない!)
自分の考えを懸命に否定しようとする。が、否定よりも肯定する気持ちが強くなってきていた。

まさにその時
「止めてくれー!」
遠くで男の大声が聞こえた。
(辻斬り?)
燕姫はとりあえず考えを保留して、声がした方に向かって全力で走った。
(逃がさぬ!)
心の中で何回も叫んだ。
前回、辻斬りを食い止められなかったことが思い出される。
声がした辺りに到着。辺りを見渡す。
「いた!」
声を発したと思われる男が血を流し倒れている横で、黒い着物を着て
般若の面をした男と思われる人間が刀を持って立っていた。
そしてまさに男にとどめを刺そうとしている時だった。
燕姫は何も言わず鞘から刀を抜き出すと、面をした人間に向かって行った。
刀と刀の当たる甲高い音がする。燕姫は力負けして押し返され地面に倒れこんだ。
(この力は男!)
面をした男の標的が倒れている男から燕姫に移った。
(絶対に負けない!)
燕姫はすばやく立ち上がると再び面をした男に飛び掛っていった。
今度は押し返されることなく鍔迫り合いになった。
(なんて力なの)
押し合うが燕姫のほうが分が悪い。力いっぱい押そうとするが男の力は人間とは思えないほどのものだった。
鍔迫り合いが続く中で燕姫の目に相手の刀の鍔が映った。
(あの形は・・・・村雨!)
暗闇でよく見えないが間違いない。村雨と同じだ。特徴のある形なので見間違えるはずがない。
(じゃあ父上なの?)
村雨があるということは面をした男が守親である可能性が高い。
「父上!私です。燕姫です。なぜこのようなことをしているのですか?」
燕姫は面をした男に話し掛けるが男は返事をしない。
「正気に戻ってください!」
なおも話し掛ける。その間にも剣のやりとりは続いている。
燕姫はこの男が守親であることを感じ戦闘意欲を失いかけていた。
しかし男の方は一向に構わずに仕掛けてくる。
(あの優しい父上が私に刃を向けるはずがない。きっとこの男は別人よ!)
燕姫は気を取り直して男に向かっていった。
しばらくして燕姫はあることに気がついた。
(この男、力は強いけど剣の腕はたいしたことない)
燕姫は落ち着くと、余裕で男の剣をかわし懐に飛び込んだ。
「覚悟!」
燕姫の声と同時に刀が男の心臓の辺りをついた。そして男が倒れこむ。
「やったわ。とうとうやった。さあ、顔を見せなさい」
燕姫は般若の面に手をかけた。そして外す。次の瞬間。
「ち・・・・・・・・・・・父上〜」
面の下には守親の顔があった。燕姫はその場に座り込んだまま動けなかった。
そしていつまでも号泣していた。

数日後、非道な辻斬りの正体が藩主・戸沢守親だったということで民百姓は大変驚いた。
守親は名君として誉れ高く、まさか辻斬りなんて・・・ 民百姓の中にはいまだに信じていないものもいた。
それだけに守親を変えた村雨に皆が恐怖した。

守親が辻斬りの犯人ということで反対するものもいたが、
藩主であることには違いないので葬儀が行われることになった。
葬儀を行う寺に、守親をいまだに名君と慕う民や守親の家臣、守親の弟・戸沢守康、そして燕姫が参列していた。
燕姫は守親を殺してから今までの数日間、全く言葉を話さなかった。
事情はどうであれ、父親を殺したのは事実だ。声には出さないが、
そう思う周りの態度が余計燕姫の態度を硬化させたのだろう。

逆に守親の弟・守康は声をあげて泣いていた。
「兄上。なぜこんなことに・・・ 戸沢藩は私が立派に引き継いでいきますぞ。だから安心して成仏してくだされ」
守康の態度にもらい泣きするものもいたが、燕姫だけはまったく微動だにしなかった。
守康は兄・守親に別れの挨拶をすると燕姫のところへ近づいてきた。
「燕姫様、この度は大変辛い思いをなされましたな。しかし辻斬りを野放しにしておいては
民にどれだけの被害と恐怖を与えていたことでしょう。これでよかったのですよ。これで」
燕姫は相変わらず黙って立っているだけだった。
「兄上は名君と謳われた方でございました。そこまでは及ばぬかもしれませぬが、
この不肖守康が兄上の跡を立派に引き継ぎましょう。
兄上の忘れ形見である燕姫様にも不幸な目には遭わせませぬ。というわけで、
次の藩主はこの守康でよろしいですね?」
聞いているかどうかも分からぬ態度だった燕姫が、首を縦に振ろうとしたときだった。

「お待ちくだされ!」
寺の外から声が聞こえた。声が大きくなるとその声の主が姿を見せた。
「お待ちくだされ。その棺桶の中にいる守親様は偽者でございます。」
「偽者ってどういうことですか?」
数日間まったく話をしなかった燕姫が男に詰め寄った。
「燕姫様のお父上・戸沢守親様は生きております。衰弱しており、
今は薬師に見せておりますがお命に別状はないとのことにございます。ご安心くださいませ」
「しかし実際にあの棺の中に父上がおるではないか」
「ですからあれが偽者なのでございます。守親様に似た男に甲賀の秘術を使い、守親様そっくりにしたのです」
「なぜそのようなことをする必要があるのだ?」
「順を追って説明いたします」
ある1人の人間を除いて、皆男の説明に聞き入った。

「守親様が藩主であることを快く思わない男が1人いたのです。
その男は守親様を亡き者にしようとした。しかし、普通に殺したのでは自分が疑われる。
そこで辻斬りの犯人ということにして殺してしまおうといたしました。
まず本物の守親様と偽者を入れ替える。そして偽者に村雨で辻斬りを行わせる。
騒ぎが大きくなったところで殺した本物の守親様を辻斬りの犯人としてしまえば、
妖刀の祟りのせいにでき、まさにその男の思う壺でした。ところが実際には燕姫様が先に偽者を殺してしまい、
本物を殺すことができなかった。
だからこそ私も守親様をお助けすることができたのです」

「辻斬りが初めて行われたときにはもう入れ替わっておったというのか。
実の親子でありながらまったく気付かなかった」
「それは仕方ありませぬ。相手は甲賀の忍者。私がおかしいと感じたのも立て札が立った時でございますから」
「あれは私も引っかかったのだけどもな」
「守親様が命よりも大事にしていた燕姫様と村雨を簡単に手放すなどおかしいと思い、
ずっと調べておりました。そして昨晩やっと全てを調べ上げ守親様を救出いたしました」
「ご苦労であったな」
「いえ。守親様には大変お世話になっております。当然のことでございます」
男は燕姫に頭を下げると、体を1人の男の方に向けた。
「これで合ってますかな?」
言った男の視線の先に皆が注目する。
「守康殿」
「なんのことですかな?わしにはさっぱりじゃが」
守康がとぼける。
「無駄ですぞ、守康殿。先ほども申し上げました通り、守親様は生きてらっしゃいます。
守親様に聞けば全てがはっきりするのですから」
男の言葉に守康が固まる。
「お、おのれ〜。燕姫、貴様さえいなければー」
守康は刀を抜いて燕姫めがけて飛び掛った。

次の瞬間。
「ぐおぉ」
燕姫に勝てるわけもなく、腹を切られた守康は地面にうずくまった。そしてそのまま息絶えた。

「さぁ、守親様の下に参りましょう」
「参ろうか」
死体となった守康を残し全ての人が燕姫のあとについて歩き出した。

−完−



あとがき
疲れました。
時代考証はほとんどしてないので、いろいろ気になるところあるかもしれませんが、
その辺りはご容赦ください。