秋桜に会いたい
作・富士


私の名前は山口知可子、26歳。
普通に高校と短大を卒業して、普通にOLをしているどこにでもいる普通の女性。
そんな私は、普通の女性がみんな夢見る結婚を明日に控えていた。

私の旦那様になる男性の名前は沢田雅史、私と同じ26歳。
彼と出会ったのは高校1年生の時。教室の窓からビルしか見えないような大都会の中の高校。
生徒数も他と比べて少ない学校で、隣同士机を並べて授業を受ける。恋に落ちるのは必然だった。
告白は彼から。文化祭最終日の夕方、みんなが帰った後の誰もいない教室。教室の中には楽しかった祭りの余韻が残っている。
「お・・・おれ・・・・・・ 前から山口さんが好きだった。付き合ってくれ!」
まじめな彼らしい不器用な告白。
その告白に私は黙って首を縦に振った。

私の初めての恋人。中学時代まったく恋愛に興味のなかった私が、彼と知り合って恋を覚えた。新鮮だった。
初めてデートしたのは冬の海。もちろん当時は車の免許なんて持ってないから、電車で江ノ島まで1時間かけて出かけた。
「ごめんね」
着いてすぐ、彼が私に謝った。さらに言葉を続ける。
「初めてのデートって本当は映画とか遊園地なんだろうけど・・・ でも、でも俺、冬の海が大好きなんだ、
静かで心が洗われる感じがして。彼女ができたらぜひ最初のデートでこの景色を見せたいと思ってたんだ」
到着するまで彼が行き先を内緒にしてたから不安だったけど、その景色を見てそんなものは一瞬で吹き飛んだ。
「わ〜、きれい・・・」
思わずつぶやいた私の言葉に彼の顔が輝く。
「そうだろう。知可ちゃんならこの良さ分かってくれると思ってた。うれしいよ」
私と彼はしばらく海岸の砂浜に腰掛け、たわいもない話で盛り上がった。そして会話も尽きたころ、
夕日をバックに初めてのキスをした。私のファーストキス、一生忘れることはないと思う。

それから彼とはたくさんのデートをした。遊園地で遊んだり映画を見に行ったりいろいろな場所へ行った。
お昼には私が作ったサンドイッチを食べたりして。サンドイッチを入れたバスケットは今でも彼とのデートには欠かさない。
母は昼間働いていて家にいなかったので、私の部屋で2人きりで勉強をしたこともあった。
彼が英語が得意だったから、テスト前にはよく教えてもらったりして。
私の初めての経験は、そんな風に2人きりで部屋にいた時だった。お互い初めてだったからとっても緊張して・・・
今振り返ると本当に恥ずかしい。でも“初めての人”が彼でよかったと心の底から思う。

彼は私にはもったいないほどの優しい人。でも1つだけ不満に思うことは、私を子ども扱いすること。
いまだに私のこと「知可ちゃん」って呼ぶし。遊園地行った時だって「遠くへ行くなよ」なんて言ってみたり、
冗談だとは分かってるんだけど・・・

そんな彼が私にプロポーズしたのは数ヶ月前。思い出の地・湘南海岸。
「俺たち、結婚しよう!」
高校生の時と同じく、何の飾りもない言葉。
私もあの時と同じく、何も言わずにOKの意味をこめて首をゆっくりと縦に振った。
出会ってから10年。1度もそんな素振りを見せたことのない彼の突然のプロポーズに私は驚いた。それ以上に嬉しかった。
私の返事を聞くと、彼はいきなり海のほうを向いた。
「うお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
彼が突然海に向かって叫んだ。私は驚いて目を丸くする。
思いっきり海に叫んだ後、再び私の方を振り返り、
「結婚してからもまた2人で海に来ような。それに映画もたくさん観に行こう」
「うん、約束だよ!」
「ああ。約束だ」
私たち二人は子供のように指切りをした。

彼の突然のプロポーズに1度はOKしたものの、時が経つにつれ私は迷っていた。
私は今、年老いた母と2人暮らし。父は私が小さい時に他界していた。それから20数年。母は今まで1人で私を育ててくれた。
そんな母を1人この広い家に残し、私が嫁いでいいのだろうか? そんなことばかりをずっと考えていた。

今、季節は秋。
自宅の庭の花壇には淡紅色をした秋桜がたくさん咲いている。秋の穏やかな陽の光を浴びて陽溜りで揺れていた。
その花壇の前には母が立っていた。
私はしばらく母の後姿を眺めていた。母は一生懸命花壇の雑草を抜いている。
よく見ると母の肩が震えていた。多分泣いているのだろう。
私が母に結婚の報告をしてから母は涙脆くなっていた。私の前では明るい振る舞いをしていたが、
父の写真の前で泣いている姿を何度も見ていた。その時の姿と今の姿はまったく同じだった。
そして、泣いていたのをごまかすかのようにいつもと同じくひとつ咳をする。
雑草を抜き終わると、居間の押入れからアルバムを取り出し、縁側でそのアルバムを開いた。最近の母の日課だった。
私がその横に黙って座る。
アルバムを開く場所はいつも決まっていた。小さいころの私が秋桜をバックに写真に写っている。
「このころ知可ちゃんとっても怖がりでねぇ。夜一人でトイレに行けなくて一緒について行ってあげたんだよねぇ・・・・・・」
母は毎日のように何度もこの言葉を繰り返して言った。誰に言うでもなく独り言みたいな小さな声で。
春を思わせる秋の日の、暖かい陽の光を浴びながら、私は今までの母の優しさを思い出していた。

(私は明日彼のもとへ嫁ぐ。こんな母を残して本当にいいのだろうか?) 
思わず涙ぐむ。

母はそんな私の様子を察したのか、アルバムを閉じると私のほうを向いた。
そして、明日嫁ぐ私に
「結婚というのは大変なものよ。たくさん苦労もすると思う。私もそうだった。でもね、
そんな苦労なんて時が経てば笑い話に変わっちゃうの。だから何も心配いらないわ。しっかりやるのよ」
そう言って母は精一杯の笑顔を私に見せた。

そして夜、私は自分の部屋に戻り、荷物を整理していた。
押入れの中からいろいろなものが出てくる。その一つ一つの思い出をたどる。
高校生の時に着ていたお気に入りの洋服を見つけた。
「これってあの時の!」
思わず声をあげる。
「初めて彼とデートした時に着て行った洋服・・・」
彼と初めてのデート。気に入った服がなくて、無理やり母に頼んで新しいのを買ってもらった。
今は小さくて着られないが捨てることはできなかった。
一つ一つの思い出に母が登場する。いつも一人ではなかった、母が一緒だった・・・
そして母との思い出とともに、我儘に振舞っていた自分を思い出し歯がゆい気持ちで一杯になった。

しばらくの間荷造りと格闘していると、母が手伝いに来てくれた。
最初のうちは、コレはどうだった、ソレはああだったと楽しげに思い出話をしていた。
しかし突然涙をぼろぼろとこぼし、
「元気で・・・ 元気で・・・」
と何度も何度も母が繰り返す。
母の言葉を聞いて、私の目にはいつのまにか涙があふれていた。

私は母の小さな背中に抱きついた。
そして、“ありがとう”の言葉をかみしめながら
「頑張ってみる。私なりに・・・」
とだけ言った。
(もう少しだけ、昔みたいにお母さんに甘えさせて)
と心の中で思いながら、母の体に回した腕に軽く力を込めた。

その時だった。居間にある電話が突然鳴った。
(こんな時間に誰だろう?)
私は頬を伝った涙を拭き取ると、急いで電話に出た。
「もしもし、山口ですが・・・」
「もしもし・・・ 沢田です・・・」
「お義母さん。どうなさったんですか、こんな時間に?」
電話の主は彼の母だった。何度か会ったことがあるが、明るく元気な人という印象がある。
しかし声にいつもの元気がない。
「雅史が・・・ 雅史が・・・」
お義母さんはそれだけいうと、泣き出したまま何もしゃべらなかった。
私はなんとかお義母さんをなだめて涙のわけを聞きだした。
「ごめんなさい、突然泣き出して・・・ さっき警察から電話があって・・・雅史が・・・雅史が・・・ 
事故に遭ったって・・・トラックに轢かれて・・・・・・うぅ」
「え?」
私は一瞬にして頭の中が真っ白になった。先ほどとはまったく意味の違う涙が目から溢れ出す。
それでも懸命に冷静さを取り戻そうとする。
「それで病院はどこなんですか?」
完全には冷静になれず、声に力が入っていることが自分でもわかる。
「中央病院と言っていたわ。私もすぐ向かうから知可子さんもすぐ来て」
「わかりました。すぐ向かいます」
私はそれだけ言うと、受話器を置いた。
私の隣で心配そうに電話のやり取りを聞いていた母が声をかける。
「何、病院って? 何かあったの?」
「ごめんなさい。私すぐ病院に行かないと。詳しい話は帰ってきてからするから!」
私は急いで外出の準備を済ますと家を飛び出した。
大通りでタクシーを拾い中央病院を目指す。

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
タクシーの車中で何も考えることができず、ただ1秒でも早く病院へ到着することを願っていた。
外はいつのまにかどしゃ降りになっていた。

タクシーに乗って30分ほどで病院に到着。すばやく料金を支払い、急いで出入り口を探す。中に入ると看護婦が立っていた。
「あ、あの・・・ 彼・・・ 沢田雅史がこちらに運ばれたはずなんですけど」
私は看護婦に声をかけた。
「ご案内しますのでついて来て下さい」
私の慌てた態度とは対照的に、看護婦の態度は非常に落ちついていた。冷たい感じがするほどだった。

私は黙ってその看護婦の後を歩きだした。家からほとんど握りっぱなしの手の平には汗がにじんでいる。
突然看護婦の足が止まった。
「階段を下りますので足元に気をつけてください」
「は、はい」
二人は階段をゆっくりと下りる。二人の足音だけが響いていた。

地下に到着すると、1階にいた時以上に何も音がしなかった。看護婦が歩き出し私がその後をついて行く。
「どこまで行くんですか?」
私の問いには答えず、目の前にある扉を指差した。
「こちらです」
看護婦の言葉に私の脳に最悪のシナリオがよぎる。
無言のまま、指差された扉を開く。

薄暗く狭い部屋。そこに彼はいた。ベッドに横たえられて・・・ ベッドに横たわる彼は眠っているようにしか見えない。
彼の横にはお義母さんとお義父さん、そして彼の兄がいた。お義母さんは椅子に座り彼が眠るベッドに顔を埋め泣いていた。
お義父さんとお義兄さんはそれを黙って見ている。

扉を開けたままボーゼンと立ち尽くす私に最初に声をかけてきたのはお義兄さんだった。
「眠ってるようだろ。でも死んでるんだぜ」
「な・・・なんでこんなことに・・・」
私は気力を振り絞ってそれだけ口にした。
「今日、会社の仲間が雅史の結婚をお祝いしてくれたらしいんだ。それで飲めない酒をしこたま飲んだ帰り道、
トラックに轢かれそうな仔犬を助けようとして・・・」
私は黙ったままだった。声が出なかった。
「馬鹿なやつさ。こんなかわいい人を残して逝っちまうなんて・・・」
お義兄さんに続いてお義父さんが声をかけてきた。
「すまない。こんなことになってしまうなんて・・・」
深々と頭を下げるお義父さんを見ても、それでも私は黙ったままだった。

1歩1歩ゆっくりと彼が眠るベッドに近づく。近づいて見れば見るほど彼の顔は眠っているようにしか見えなかった。
お義母さんの横まで来て私は彼に話しかけた。
「ねぇ。寝てるだけなんでしょう? 早く起きないとみんな本気にしちゃうわよ。ほら起きて」
言いながら彼の体をゆするが、もちろん彼が起きることは無い。
「早くおうちに帰りましょう。明日は私たちの結婚式なのよ。早く帰って明日の準備しなきゃ」
彼はまったく反応しない。ここまできて、私は彼の死を受け入れざるをえなくなっていた。
「どうしてなの・・・どうして・・・だって明日は私たちの結婚式じゃない・・・なのにどうしてぇ!」
私は号泣した。涙が止まらない。
「今年も2人で海に行こうって言ったじゃない・・・いっぱい映画も観ようって・・・約束したじゃない・・・雅史さん約束したじゃない・・・」
私はそれ以上言葉が出ず、しばらくの間彼のベッドの横で泣いていた。

彼が事故で死んでから1週間後、私は彼との思い出の場所・湘南の海に来ていた。
今日までの1週間、いろいろなことがあった。
お義母さんが倒れたり、落ち込んでいる私を励ますため会社の同僚たちが飲みに連れて行ってくれたり。
みんなの気持ちは嬉しかったが、私の気分が晴れることはまったくなかった。
「前を向いて生きていかなくちゃダメだ」
同僚の1人がそう言っていた。頭では分かっている。しかし心の中にぽっかりと開いた穴はあまりにも大きすぎる。
私は今日もまた、彼との思い出巡りをしている。

私は海辺を歩いていた。彼との思い出が甦る。
(ここで青春ドラマみたいに追いかけっこしたなぁ・・・)
(「待て〜」という彼の言葉に「待たないよ〜」なんて返したりして・・・)
思い出が甦るたびに、彼の死に対するいろんな感情も思い出される。
(なんで死んでしまったの)
彼の死を怒りたいのか、彼の死に泣きたいのか自分でもわからない。そんな感情のまま、ただ歩いた。

「すいませ〜ん」
突然後ろから声をかけられ、驚いて立ち止まる。そしてゆっくりと体を反転させた。
そこには男性が1人立っていた。私は無表情のままその男性を見つめていた。
「あ、あの〜」
私にじっと見つめられ、男性の表情が強張った。
「え〜と。自販機ってこの辺どこにありますか?」
私は男性の質問に黙って自販機のある場所を指差した。
「あっちですね。ありがとうございました」
男性は礼を言うと、私が指を差した場所へ向かって走り出した。
(今の人が雅史さんだったら・・・・雅史さんだったなら・・・・)
この1週間、男の人を見るたび彼の姿をダブらせていた。
(こんなことではいけない!)
精一杯強がるが、心の奥に浮かぶ彼は消えてはくれない。
(もし今の人が雅史さんだったら・・・)
また同じことを考えてしまう。
(強がる私の肩をつかんで「バカだなっ」って叱ってほしい・・・)
(そして優しくキスをして「嘘だよっ」て抱きしめてほしい・・・)
何度目だろう、涙が頬を伝った。
(会いたい・・・・・・うぅ)
私はその場にしゃがみこみ声を上げて泣いた。

「何泣いてんだよ」
突然私の耳に聞き覚えるのある声が聞こえてきた。
思わず顔をあげる。そこには彼が立っていた。
「なんで雅史さんがここに?」
私は彼に話しかけた。
「あ〜あ。顔こんなにくしゃくしゃにして〜。知可ちゃんにそんな顔似合わないよ。笑って笑って」
彼に言われて、頬の涙をぬぐい立ち上がった。精一杯の笑顔を作る。
「そうそう。知可ちゃんにはその顔の方が似合うよ絶対に。これからもその笑顔忘れんなよな」
彼が言葉を続ける。
「俺は知可ちゃんちの秋桜になって、知可ちゃんをずっと見守っているから。だから泣くな!それでも泣きたい時には俺に、
秋桜に会いに来い」
彼の姿が段々と私のそばから離れていく。
「待って・・・行かないで・・・」
懸命に彼を追いかけようとしたが、体はまったく動かない。
そして彼の姿が私の前から消えてしまった。
と同時に、意識が遠のく。というよりもはっきりしてくる。

「大丈夫か?あんた」
意識を取り戻した私の前にはおじさんが立っていた。
私は慌てて辺りを見回した。もちろんいるのは私とおじさんの2人だけ。
「こんなところに倒れてるからびっくりしたよ」
おじさんの言葉にやっと彼が現れた謎が解ける。
「今の・・・夢?」
「とりあえず大丈夫そうだな。じゃあわし行くから」
それだけ言うとおじさんは私に背を向け歩き出した。

「“秋桜になって私を見守っているから”・・・・か」

私は家路を急いだ。
私をずっと心配してくれていた母と大好きな彼に会うために・・・

−完−


あとがき
アレとアレだってことは、みなさま気づきました? 
理想はここで気づいてもらうことなんですけど。で、再読していただいて「あ〜そうか」と納得していただくと。
でも途中で分かっちゃったかな。
分かる人は30代が多いのかな? 
でも両方とも有名ですからね〜、どうなんでしょう。
ちなみに私は30代じゃないです。単にこの辺り好きなんで。

私が何を言ってるのか分からない人でどうしても気になるという方は、作者別倉庫に私のアドレスがありますのでメールください。
お答えいたします。