愛された男
作・富士


2002年シーズン最終戦。一人の男がその長い現役生活の最後となる試合を迎えていた。

男は1983年、高卒ルーキーとしてドラフト2位で入団した。
チームは70年代後半に初優勝して以降、実力・人気ともに凋落の一途をたどっていた。
男は、そんなチーム状態を救うべく神に遣わされたに違いなかった。
1年目は10試合に出場。しかし7打数ヒット無し。三振が2つと散々な結果だった。
それでも2年目以降男は確実に力をつけ、その才能を開花させていった。
3年目に初本塁打を放ち、4年目には100試合以上に出場、レギュラーを自分のものとした。
5年目から9年目の5年間に、球団史上初・遊撃手史上初となる5年連続30本以上のホームランを記録。
9年目にチーム2回目となるリーグ優勝の立役者ともなった。
翌年の10年目にチームはリーグ戦を連覇。15年ぶり2回目の日本一になった。
その間、7年目には最初で最後となるシーズン3割以上を記録し、名実ともにチームの顔になっていた。

ただ三振も多く、年間で100以上を記録することもざらであった。
しかし、三振かホームランかという男のバッティングにファンは酔いしれた。
三振しても魅せることの出来る男だった。

豪快なバッティングだけではなく、華麗な守備でも魅せてくれた。ゴールデングラブ賞の受賞こそ無かったが、
絶好調時にはもはや達人といえるほどのものがあった。主に守っていたショートの守備では、
誰もが取れないと思う打球にも追いついた。他の選手ならセーフになるであろうファーストへのスローインもこの男ならアウトにした。
プレーの一つ一つがファンを魅了し、全ての人の眼を釘付けにした。

だが、チームの顔として順調に活躍していた男をある悲劇が襲った。
野球選手に限らずスポーツ選手すべてに当てはまるもの、怪我であった。
10年目から11年目にかけて最初の怪我をした。
しかしこの怪我は、男が引退するまでの間の長い怪我との戦いの歴史の幕開けに過ぎなかった。
最初の怪我、男はそこから奇跡の復活を果たし、12年目にチーム3度目となる日本一に貢献した。
13年目に再び、今度はアキレス腱を断裂。治療したとはいえ、選手生活を続ける限り終わることのない痛みと再発の恐怖。
結果この怪我が男を現役生活引退に追い込むことになった。
さらに大腿筋の痛みも抱えていた。まさに満身創痍の状態であった。
それでも男はフルスイングを止めなかった。
チームのため、そしてなによりファンのために・・・

男は戦った、戦い続けた。
ショート・サード、男がかつてレギュラーを務めたポジションが若手に奪われると、
セカンド・ライトという男にとって未知のポジションをこなした。
30歳を越えたベテランと言われる選手がすることではないのかもしれない。しかし男はすべてのプライドを捨て、
試合に出ることを欲し続けた。
しかし、男の熱望むなしく出場試合数はリーグ戦の半分にも満たなくなっていた。

それでも男の人気が衰えることはなかった。
それは実力だけの人気ではなく、ファンを大事にする男だったからである。
試合開始の数時間前、選手たちがもっとも集中したいであろうそんな時間帯にファンは躊躇することなくサインを求めてくる。
選手によっては集中したい時間帯でのファンからのサインは断ることがある。
でも、この男は違った。
警備員がファンを制止する中、男は自分からファンに歩み寄りサインを書き続けたのである。そんな、
男のファンのすべてを大事にする態度が成績とは関係のない不動の人気を確立させたのであった。

そんな男に結果的に最後となる大仕事が与えられた。“代打”である。
18年目、男は代打として生まれ変わった。
男の代打が告げられると球場はものすごい大歓声に包まれた。
男の1スイング1スイングにファンは一喜一憂した。
男はその声援に応えるように持ち前のフルスイングを続けたのだった。
試合に出ていない時でも、若手を鼓舞したりベンチ内で一番声を出したりとチームの精神的支柱をも担った。

おかげでチームは4年ぶり5度目の日本一となり、自身も300本塁打を達成したのだった。

翌2002年、怪我と戦い続けた男はユニフォームを脱ぎ19年間という長い現役生活にピリオドを打つことになった。

そして今日、2002年10月17日。シーズン最終戦、男の引退試合が行われる。

神宮球場ライトスタンド。優勝が決まったあとのこの時期、例年ならガラガラであるはずのこの場所が、
席はもちろん通路まで人で埋め尽くされた。ファンみんなが男の最後の勇姿を見に来たのである。

スターティングメンバーが発表される。
「3番 ショート 池山 背番号36」
発表と同時に地鳴りのような池山コール。

18時20分、試合開始。
池山の第1打席は1回の裏ワンアウト二塁。いきなり先制のチャンスに回ってきた。
神宮球場がゲーム序盤から興奮の坩堝に包まれる。
カウント2−0から外角高めのストレートをフルスイング。しかしバットは空を切り三振に終わった。
それでも池山らしい豪快なスイングにライト側応援席は拍手喝采であった。

2回の表、対戦相手広島の4番金本にソロホームランが飛び出し先制され、
池山の引退試合を勝利で飾らせたいライト側からため息が漏れる。

最初の守備機会は3回の表にやってきた。昔の池山なら何でもないショートゴロが内野安打に変わる。
しかしそれを咎めるものは誰もいない。足を引きずりながらも全力でプレーしていることが分かるからだ。

池山の第2打席は初球のストレートを打ちセンターフライ。第1打席同様、温かい拍手が球場内にこだまする。
足を引きずりながらベンチに戻る池山の姿が涙を誘う。

2回目の守備機会は4回の表。引退試合とは思えない軽快なフィールディングを見せた。

第3打席は1−1から外角のストレートをファーストに転がす。ファーストゴロで終わった。
しかし、池山の引退試合を勝利で飾ってあげたいチームメイトが奇跡を起こす。
次のバッター城石がソロホームランを放ち、1−1の同点に追いついた。

3打席ノーヒットで迎えた8回の第4打席、ついに池山のバットが快音を発する。
カウント2−1かあら真ん中低めのストレートを掬い上げフルスイング。打球はグングンと伸びて左中間に抜ける二塁打。
足を引きずりながらも池山は全力疾走で二塁に到達。
この日何度目だろうという大歓声が球場内を支配した。

試合はそのまま延長に入り10回の表。ファーストに入っていた池山のもとに広島新井の打球が襲い掛かる。
難しい打球を見事さばき見せ場を作った。

10回の表に1点を奪われ、1−2で迎えたその裏。池山の現役最後となる今日5回目の打席が回ってきた。
この場面を迎えるまでが池山らしいともいえる。
1アウトランナー一塁。バッターは2番の稲葉。ヒットになればもちろん池山につなぐことができるがゲッツーなら試合終了。
その場面で稲葉の選択は「送りバント」だった。
シーズン中バントをすることなどない稲葉が池山に最高の舞台を用意すべくバントを決行した。見事成功。2アウト二塁。
1発出れば逆転。
ファンを魅了し続けた男・池山に、最高の舞台が用意されたのである。

打席に向かう池山。神宮球場のボルテージは最高潮。
2−0から外角高めの152キロのストレートを豪快にフルスイング。しかし池山のバットが空を切る。ゲームセット。
と同時に神宮球場全体から拍手が池山一人に向けられる。
対戦相手であるはずの広島の投手からも握手を求められた。池山とはそういう男である。

試合終了のしばらく後、池山の引退セレモニーが行われた。
池山の言葉がその現役生活のすべてを物語っていた。
「今日まで19年。こんなに多くの応援を頂いた。こんなに幸せな男はいません」
そして最後に深々と頭を下げる。球場内が感動にむせぶ。

スワローズの仲間からの胴上げ。高々と5回宙に舞い上がった。

そして最後の最後、グラウンドを1周した。
足を引きずりながらも、ファンからの声援に手を振って応え、何度も頭を下げた。
広島側からも鳴り止まない拍手。

ファンはもちろん、敵味方を問わず全ての人たちから「愛された男」であった。

そして池山は神宮球場を去った。
しかしファンは信じている。何年後、何十年後になるか分からない。
それでも再び監督としてコーチとしてスワローズに帰ってくることを・・・

−完−





あとがき
全てのヤクルトファンに捧げます。

小説とはいえないかもしれませんが、書かずにはいられませんでした。
基本的にはフィクションです。事実と多少違っても怒らないでくださいね。