白い。

 そして、柔らかく、暖かい。

 意識が、ぼんやりと、まとまらない。

 ただ、頬に当たる風の感触が心地よかった。

 まとまらない意識のまま、ぼんやりと目蓋をあける。

 風で、薄く白いカーテンがふわりふわりと揺れている。

 窓の側に置かれた、小さな鉢植えの白い花と、ピンク色の小さな目覚まし時計。

 秒針の、微かな時を刻む音。
 ゆっくりと回るそれを見ながら、俺は、ぼんやりとしていた自分の意識がはっきりとしていくのを感じる。

 そして、次第に自分のいる場所がはっきりと理解出来てきた。

 柔らかいベッドの上に、俺は横たわっている。
 白いシーツが、肌に心地よかった。

 そして、俺の身体にくっついている、暖かくて、柔らかいもの。
 小さくて、肌色で、幸せそうな顔で眠っている。

 ………なんで、女の子?

 俺は、まだ少しぼーっとしたまま、俺の体を抱き枕よろしく抱っこしている、俺よりはるかにに小さな女の子を見た。
 年の頃は、14.5歳くらいか。寝顔はとても無邪気で、幸せそうに見える。
 ふわりと綺麗な金糸の髪の毛が、俺の腹の上に広がっていて、少しくすぐったかった。
 そして、身体に触れた白い肌が、少女の呼吸に合わせて小さく動き、その感触がふにゃりと柔らかくて、気持ちいい。

 ………というか、ハダカで寝てる。

 ……………………………………………………………………。


「………天国か?」

 思わず呟いて、周囲を見回す。
 なんとなく起こすのが怖かったので、少女が目を覚まさないように気を付けて。

 まず、視界に入ったのは、壁に掛けられたセーラー服だった。
 大きさからして、この女の子のだろう。

 次いで、勉強机や、机の脇に置かれたカバン、適当に机の上に散らばっている教科書などが視界に入ってくる。
 目を移して棚の方を見ると、可愛らしいぬいぐるみがちょこん座って並んでいた。

 女の子の部屋らしい。

「………………天国だったら、やたらマニアなニーズに応えた天国だな」

 ふと思い立って、自分の手を見てみる。
 エラの付いた、黄緑色の長い指。それは、巨大カエルのものだ。

「………ここが天国だったら、神様に文句つけてやる」

「ふにゃ」

 少なくとも、俺の体はいまだに怪人ガマイソギンチャクのまま……ふにゃ?

 視線を、おそるおそる、俺に抱きついた女の子へと向ける。
 先ほどまで無邪気に眠っていた女の子は、パッチリと目を開いてこちらを見ていた。

 しばし、じっと見つめ合う。

 汗が一滴、たらりと頬の辺りを伝って流れ落ちる。
 ………ふと、ガマの油、という単語が頭の中に思い浮かんだ。
 体にいいという話は本当なのだろうか。
 というか、よく考えたらカエルは汗をかくものなのか。
 俺が怪人だから特別に発汗機能があるのか、それともカエルは皆そうなのか。

 思うことは尽きなかったが、あまり状況を改善する役に立つことは思いつかなかった。

「……起きてる?」

 首を、ふにゃり、と斜めに傾げさせながら、女の子が聞く。
 不思議そうに、大きい瞳をまん丸く開いている。

「…う…うむ」

 なにかしら、ひどく決まりが悪くて、俺は視線を微妙に斜めにずらしながら、答えた。
 いや、真っ正面からまじまじ見たら、女の子の身体をモロに見ることになるんだが。

 だんだん俺の方でもどこかぼーっとしていた意識がはっきりしてきて、裸体のその女の子の身体が、意識され始めてくる。

 ぐぁ、いかん。

 一般に近年の男性は年下趣味の傾向にあるというが、俺までが知らぬ間にその手の方向性に目覚めてしまっていたとは……。
 だいたい、こんな子供相手に手を出したりしたら犯罪じゃないか。

 ……まぁ、怪人が力説するのもどうかとは思うが。それはそれ。

 しかし、内心ビビりつつも罪の意識に苦しんでる俺に対して、女の子の方はまるで気にした様子もなく。

「おはよー♪」

 と、可愛らしく一声挨拶した。
 そして、小さくて頬の辺りに柔らかい感触が触れて、離れた。

 ……………………………………………………………………。

「……ここ、天国?」

 おそるおそる、聞いてみる。
 なんだか、俺の中でかなりの確信があった。

「うぅん? わたしの部屋だよー」

 脳天気な否定がかえってくる。

「……………天国の?」

「天国じゃなくて」

 どうも、本当に天国じゃなかったようだ。
 ……とすると、俺はあの爆発を生き残ったのか?

 反射的に、腰に手をやると……確かに、改造されてずっと取り付けられたままだったベルトの感触が、無くなっている。

 本当に生き残ったらしい。
 人間、意外と呆気なく死ぬんだな、と思っていたが。
 まさか、死んでなかったとは。

「…………っていうか、君、誰?」

「えへへー」

「いや、えへへーじゃなくて」

 顔を合わせてみると、邪気のない顔で微笑みかけられてしまう。
 俺は、慌てて視線を外した。

 ……うぅぅ、抱きつかれてる部分が柔らかい。
 なんつーか頭の中で色々なものと戦いながら、もう一度口を開く。

「……とにかく、君が誰で、俺がどうしてここで寝てるのか、教えてくれ」

 今度は、寝ぼけてても分かるように、ゆっくりと一言づつ区切って丁寧に聞いた。

 しばしの間。

「………えっとね。わたしが、助けたの」

「俺を?」

「うん。……凄い怪我してて、手当とかのしかた分かんなくて困ったけど、見てたらどんどん治って」

 怪人の再生能力というヤツだろう。
 手足ぐらいなら千切れても数日で生えてくると結社にいた時に教えられてる。
 俺は、死ににくい自分の体に初めて感謝した。

「でも、治ってもちっとも起きないから、どうしようかなーって思ったんだけど。
さわってみると抱き心地がひやっとしてていい感じってことが判明して」

 ………触ってみるなよ。

 ふと、先ほど見た部屋のぬいぐるみをもう一度見てみると、なんだかカエルとかカメレオンとかナメクジとか、
可愛いかどうか微妙な生き物のが多いことに気付いた。
 なんか、この女の子はどっかズレてるらしい。

「それで、抱き枕として愛用してたの」

「…………………愛用って」

「もう、一週間くらい♪」

「………マジ?」

 ニコニコとこちらを見ている女の子の目は、嘘をついている目じゃなかった。
 うぅ、一週間か……。
 この体の仕組みがなにからなにまで分かっているわけじゃないが、そこまで完全に意識がなくなるとなると、
冬眠とかそういうヤツだったのかも知れない。

「もう、カエルさん無しには眠れないカラダになっちゃったの…」

 こちらをじっと見つつ、俺の胸…というか腹の辺りに、ピトっと頬をくっつけて物騒なセリフを言う。

「勝手に抱き枕にしといて、ンなこと言われてもな……」

 思わず遠い目をした俺を、女の子がクスクスと笑っている。
 なんだか、別に腹は立たなかったが、ふとした疑問が沸き上がる。

「……そういや結局、君はどこの誰なんだ?」

「分かんない?」

 むしろ意外そうな顔で聞き返してくる。

「…分からん」

「カエルさんが爆発したとき、すぐそばにいたでしょ?」

「………………?」

 一瞬、本気で意味が分からなかった。
 爆発した時点で、一般人は近くにはいなかったはずだ。
 いや、よしんば隠れてどこかにいたとしても、ベルゼブルが発見するはずだ。
 ヤツは、一般人に手を出したりはしないだろうが、倒れてる俺を運んでいったりするのを見たら、確実に止め…………。

 そこまで考えて、やっと気付いた。

 俺は、おそるおそる、女の子の方に視線を向ける。
 無邪気な顔で俺に抱きついている、白い裸体の女の子。

「……………………………………………ベルゼブル…?」

「うん♪」

 ……………………………………………………………………。

「……………@%64&>+*#ッ!!!?」

 次の瞬間、俺は声にならない悲鳴を上げながらベッドから飛び跳ねて。

 ドガスッ

 凄まじい勢いで壁に頭を打ち付けて、潰れるように床に落下した。



   *



 それから、10分ほど後。

「ぶーぶー、ひどいー」

 女の子……ベルゼブルは、ぶーぶー言いながらも、厨房に立って朝食の準備をしていた。

 一方の俺は、部屋に置かれた小さな丸テーブルの前で、大人しく正座して、朝食が出来るのを待たされている最中だ。

 あまり広くないアパートでの一人暮らしで、厨房からベッドのある自室まで、それほど距離もないので、
抗議の声もくっきり分かる。

「……悪かったよ。でも仕方ないだろ。気を失う寸前まで、殺されかけてた相手だぞ?」

「あの爆発から助けてあげたの、わたしなのに〜…」

 なお、不服そうな声が聞こえた。

 説明された話によると、あの爆発の瞬間、ベルゼブルは俺と自分自身の二人を『物理防護フィールド』とかいう、
よく分からんがバリアみたいなもので護ったらしい。
 さすがに俺の方は完全に護りきれず胴体が半分えぐれるぐらいの重傷で、
自力でなんとか回復したものの長い時間眠っていたって事らしい。

 そこそこ納得のいく説明だったので、俺はとりあえず納得して逃亡するのをやめた。
 冷静になって考えてみると、逃げようにも、この怪人カエルの姿じゃとてもまともな逃亡生活なんて出来そうもないし。
 なにより、俺の姿に……反応がちょっとズレてるとはいえ、一方的に怯えたり泣き叫んだりしない人間ってのは、
貴重な気がする。

 怪人の天敵なんだから、当然かも知れないが。

「……は〜い、出来たよ〜♪」

 俺が物思いに沈んでいると、女の子……ベルゼブルが、朝食をお盆に乗せて持ってきて、
手慣れた様子でテーブルの上に並べはじめる。

「あ、ああ、どうも…」

 なんとなく反射的にかしこまりつつ、朝食を並べるのを手伝った。
 朝食のメニューは、ご飯にみそ汁で、おかずは納豆のみ。

 並べ終えると、女の子は、ちょこんとテーブルの向かい側に座った。

 この子が、あの凶悪極まりない正義のヒーローのベルゼブルだ……と思おうとしても、どうしてもイメージが重ならない。
 そもそも、ベルゼブルは、外観は人間のシルエットだったが女性に見える部分はなかったし、
もうちょいこの女の子よりデカかった気がする。

 俺のそんな疑念に気付く様子もなく、女の子は朝食の前に両手を合わせて

「いただきまーす」

 と言うと、はむはむはむはむ…と食事をはじめる。

 口が小さいせいか、食べるスピードはなかなかに遅い。
 その様子は、なんとなく小動物が一生懸命大きな食べ物を食べようとしている姿に似ていて、可愛らしかった。

 ……うーむ、ますます分からん。

 なんて、唸りながら見てたら、女の子の方がふと箸を止めて俺を見る。

「カエルさんも、食べていいよ?」

「あー…失礼。…それじゃ、いただきます」

 同じく手を合わせてから、俺も朝食を食べ始める。
 まともな食事は随分と久しぶりだったので、やたらと美味く感じる。

 醤油をかけた納豆をかき混ぜてご飯にかけ、箸で黙々と食べてると、感心したような目で俺を見ている女の子と目が合う。

「思わず普通のご飯用意しちゃったけど、ちゃんと食べれるんだ〜」

「ミミズやら虫やらは喰わんぞ。一応言っとくが」

「おお〜〜。カエルなのに上品」

 意味不明な賛辞を流しつつ、みそ汁を飲み込む。
 さすがに、口がデカいので、あっという間にに食い終わってしまうのが悲しい。

「お前だってハエの改造人間だろうが。人のこと言えるか」

 カエル呼ばわりに腹が立ったので、仕返しのつもりで言葉を返した。

「……へ? 違うよ、ベルゼブルは、強化服だもん」

 あまりにも意外な答えに、思わずみそ汁を吹きそうになった。
 ……てっきり、秘密結社の幹部の奴等みたいな、人間の姿に化けることのできる改造人間なんだと思ってたんだが。
 あの外見は、本当の意味で鎧だったワケか。

「んじゃ、名前は別にあるのか?」

「うん。わたしの名前はベルよ。ドイツの方の出だけど、育ちはこっち」

 なるほど。
 金髪と、可愛らしい顔立ちを見ながら思わず俺は納得した。
 いや、可愛いのは関係ないんだが。

「ふーん、だからベルゼブルか」

「強そうでしょ?」

「っつーか、悪趣味だろ。確か、悪魔か何かの名前だった気がするし」

 嬉しそうにあの悪趣味かつ凶悪な戦闘強化服を自慢するベルの姿に、俺は思わず頭痛をおぼえて首を振った。
 あの化け物の中にこんな女の子が入っていたと知ったら、結社の奴らは何と思うか。

「そなの?」

 きょとん、と視線を返すベルは、本気で分かってなさそうだ。

「そーだよ。…ま、強いってのは確かかもな」

「でしょ♪ ふふふふふ〜」

 別にベルゼブルのネーミングについてどうこういう気もなかったので、俺は適当に返事しとくつもりだったのだが。
 なんだか本気で嬉しそうにしてるので、妙に落ち着かなくなる。

 俺はとっとと残った納豆ご飯を食べ終えると、茶碗を置いて、両手を合わせた。

「ごちそうさか」

「おそまつさまでした〜」

 簡単なやりとりの後、まったりと朝食を食べるベルを眺める。
 やはり、食べるのが遅い。
 だからこんなにチビッこいのかも知れない。

「そういえば、学生なんだよな? 中学か?」

「………高校生だもん」

 なんとなく聞いた質問が、微妙に逆鱗に触れたらしい。
 返ってきた返事には何となく怒気が込められていた気がした。

「……一年?」

「…………………………三年」

「…………………………………………………………………」

 っつーことは、17歳か18歳か。
 ベルゼブルを身に着けてる副作用ということにしておこう。

 ベッドの中で見たベルの体型を思い出して、思わずベルへと無言の黙祷を捧げた。
 いや、まるで出てなかったということはないが、いかんせん18歳には見えない。

 ……いや、まぁ、どうでもいいことなんだが。

「そーいや、聞きたいことがあるんだが?」

「もふ……んぎゅ、ふぁあひ?」

「……とりあえず、口にものを入れたまま喋るな」

 頭を押さえつつ、俺は辛抱強くベルが口の中に入れた食べ物をもそもそと飲み込むのを待ってから、あらためて聞いた。

「えーと…まぁ、…なんだって、……ベッドの中でハダカだったんだ?」

 なんとなく聞きにくかったが、スゲェ気になっていたのだ。
 落ち着いて考えてみれば、そこがどうしてもサッパリ分からない。

「え? 寝るときいつもそうだよ」

「……………それだけ?」

「うん」

 こともなげに答えて、ベルは再びもそもそと朝食を食べ始める。

 なんか、あまりにも理解しがたい回答に頭を悩ましていると、じーっとベルの方がこちらに視線を向けてきた。
 そして、口を開くと、ぼそりと聞いてくる。

「なにかヘンなことかんがえてた?」

「え? あ、い、…いいいいやそんなことは……」

「……えっち」

 それだけ言って、ベルは再び朝食をもそもそと食べ始める。

「………………あぁぁぁぁぁぁ……」

 あまりにも冷たい一言に、俺は頭を押さえてもがき苦しむ。
 最初とは別の意味で、俺はこの部屋から脱走をしたくなっていた。



   *



「それじゃ、行ってきまーす。留守番ちゃんとしてねー?」

「はいはい、いってらっしゃい」

 俺の返事に満足したのか、ベルはすんなりと玄関から出ていった。

 セーラー服とカバンを手に、通っている高校へと登校していったのだ。
 よく考えてみると、正義のヒーロー…いや、女の子だから、ヒロインか…と、学生を両立させてるってのも、のんきな話だが。
 まぁ、逆にそれぐらいまったりしてくれてたから、俺も助けて貰えたんだろうけど。

「…………さて」

 とりあえず、鍵をしっかりかけて、部屋に戻る。

 年頃の女の子の部屋である。
 あらためて一人部屋の匂いを嗅ぐと、少し甘くていい香りがするような気がした。

 よく考えたら、女の子がこんな簡単に男一人を自分の自宅においていってしまって、いいもんなんだろうか。
 なんとも不用心な話だ。
 抱き枕にしてた巨大カエルを男と見ているかどうかは微妙だが。

「……まぁ、だからって、やることもないんだがな〜」

 こんなデカいカエルの格好じゃ、外に遊びに行くわけにもいかない。
 仕方なく、俺は適当にリモコンを探して、部屋の隅に置かれたテレビの電源を付けた。

 椅子らしいものもないので、しばし迷った後、どうせさっきまで寝てたんだし……と自分を納得させてから、
よいしょとベッドに腰掛ける。

 テレビの画面では、朝のニュースをやっていた。

『……警察では、このバスジャックの犯行は愉快犯によると思われ、犯人が身に着けていた怪物の着ぐるみの入手経路や、
用意していた爆発物などから調査に当たっています』

 ちょうど、バスジャックの事件が画面に映っている。
 まぁ、結社なりなんなりの力で適当にごまかされたようだが……。

『……犯行に居合わせた子供達や、幼稚園の保母の女性、運転者の男性とも無事で、
混乱がまだあるものの怪我などはなく、保護者達は安堵の顔を見せていました』

 続いてキャスターが読み上げた言葉に、俺は心底安堵する。
 まぁ、俺やらベルゼブルを見たことで、しばらく周りから変な目で見られるかもしれないが、
とにかく、無事に生きていてくれて良かった。

 俺は、なんとなくそれを確認できたことだけで満足して、リモコンでテレビをオフする。
 そして、ベッドに転がって目を閉じた。

 すぐに、眠くなる。
 まだ、体が完全に回復してないだろうか。
 そんなことを思いながら、俺の意識は闇の中へ引き込まれていった。



   *



 なま暖かく、重い感触が、俺の胸の上にある。

 パッチリと目を覚ますと……腹の上に、ちょこんと一匹、黒猫が乗っていた。
 いや、しっかり成長した黒猫なので、ちょこん…というより、ドスンという感じか。

「にゃー」

 俺の視線に気付いたのか、まん丸く黒く開いた瞳で俺を見返して、一声鳴く。
 そして、鼻をむずむずと動かすと、おもむろんに欠伸を一つ。

「…………むぅ」

 視線を巡らせると、窓の方、閉じておいたカーテンが風に揺られてわずかに動いている。
 隙間からは、夕陽のものだろうオレンジ色の光がこぼれていた。
 どうも、カーテンだけ閉じておいて、窓自体は開きっぱなしだったらしい。

 隣とかのベランダを伝って、部屋に進入してきたのだろう。

「俺は俺で、十分不用心だよな……なんつーか」

 溜息ひとつついて、猫の頭を撫でる。

「にゃうっ!」

 ……と、撫でようとした指に、すかさず猫がはむっと噛みついた。

「おぉ?」

 甘噛みなので全然痛くないが、はむはむはむはむ…と黒猫が口の中で黙々と指先を、
噛み続けている様は、なんとなく不気味だった。
 このままじーっとしてたら、そのうち全身を食べられてしまいそうというか…。

「………もしかして、美味しいのか?」

 とりあえず、聞いてみたが。
 もちろん猫だから答えるはずもない。
 ただ、エンドレスで俺の指を噛む姿が、その答えを物語っている気がした。

 そういや、カエルって、焼くと鳥みたいな味がするらしいなぁ。
 そんなことを、ぼんやりと思い出した。

 ピンポーン

 ぼんやりと指先を噛む猫を見ていると、突然、玄関のチャイムが鳴った。

「あ、はいはーい」

 猫をやんわりと指から外して、ベッドの端に置いてから、俺は玄関へと向かう。
 まぁ、来客の対応くらいは俺でも務まるだろう……。

 ぺたし、ぺたし

 ………って、務まるわけねぇじゃん!

 水掻きの付いた足の効果音で、俺はやっとこさ、自分の外見のことを思い出した。
 新聞勧誘のオッサンとかが見たら、一撃で気絶か悲鳴。
 下手したらそのまま心臓発作で昇天しかねない。

「やべっ」

 慌てて、居留守を決め込むべく部屋の方に戻ろう……としたら。

 ガチャガチャ

 何故か、鍵穴に鍵が突っ込まれる音が。

「ゲェーッ!?」

 (小声で)悲鳴を上げつつ、俺は慌てて隠れる場所を探した。
 天井に張りつき…は、どう見ても無理、ベッドの下は……入れそうにない。
 トイレの中……は、間に合いそうにない。

 その時、部屋の端におかれた洋服ダンスが目に止まる。

 これだ!

 俺はすかさず、洋服ダンスを開くと、中身もよく見ずに飛び込む。
 タンスの中へうまいこと全身が入れたことを確認して、すかさず閉じた。

 ほとんど同時に、玄関の方で扉が開く。

 ……なんとか、間に合ったようだ。

 足音が、部屋の中へと進入してくるが、走ったりしている様子はない。
 大丈夫だ。
 何者かは知らないが、この人物は俺がタンスの中へ入ったことには気付いていない。

 室内へ入ってきた足音は、部屋の中央辺りで動きを止めると、小さな溜息を一つもらしてから、窓を閉じた。
 ガサリとなにか荷物が床に置かれて、次いで、聞こえてくる衣擦れの音。

 ………なんで?

 混乱している頭に、一つの答えがもたらされたが。
 それが分かっていても、どうすればいいのかとっさに思いつかない。

「にゃ〜〜〜」

 足下でも、猫が困ったような鳴き声を上げている。
 ………見下ろすと、暗闇の中で、黒猫の目がじーっと俺を見上げていた。

「………あれ?」

 と声が聞こえて、タンスの扉が左右に開かれる。

 ……ああ、やっぱり。

 目の前にいたのは、セーラー服を脱ぎ捨てて、下着姿になったベルだった。
 ……うむ、水色と白のストライプ。

 ベルは、その無防備な格好のまますぃっと俺のすぐ側に近付くと、きょとん、と目を開いて俺を見る。
 そして、俺の目をじーっと見上げながら、口を開いた。

「………なにしてるの?」

「いや、猫がチャイムの音で指が鳥肉の味だったから、慌ててつい洋服ダンスに…」
「にゃー」

 俺の必死の説明を無視して、黒猫がベルの手の中にジャンプする。
 ベルは、黒猫を両手でキャッチすると、手の中に抱いた。

「あら、お隣のクロちゃん。遊びに来てたの?」
「にゃーん♪」

 黒猫は、ベルの腕の中で幸せそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
 なんだか、果てしなく裏切られたような気がするのは、俺の気のせいだろうか。

 ひとしきり猫を撫で終えると、ベルは再び顔を上げて、俺をじーっと見た。

「それで、なにしてるの?」

 純粋な問いかけに、俺は頭を押さえて返答に苦しむ。
 なんというか、俺はまた再び、この部屋から脱走をしたくなっていた。

 もしかしたら、俺はこの部屋とは相性が悪いのかも知れない。



   *



 まぁ、とりあえず懇切丁寧に説明したら納得してくれた。
 この辺、聞く相手が素直で良かったと心底から思える瞬間である。

 部屋着に着替えたベルは、俺が洋服ダンスに突っ込んだせいで散らばってしまったタンスの中身を整理している。

「〜〜〜〜〜♪」

 先ほどまでちょっと怒ってた気もしたが、今はそれなりに機嫌がいい。

 しかし、なんとなく、こうして二人で部屋にいると、手持ちぶたさだ。
 こういう気持ちは……ちょっと他の人間には分かって貰えないだろう。

 強いて言えば……そう、本来は家の外に飾られているはずのしがら焼きのタヌキが、何故か部屋の中に飾られている。
 その、しがら焼きのタヌキの気分が、俺の感じているそれに近いのではないだろうか。
 なんというか、自分がこの場所にいることに対する根本的な疑問というか。

「……うーむ」

 腕組みして唸っていると、タンスの整理を終えたベルが振り返る。

「どしたの?」

 すいっと、俺の目の前に来ると、すぐそばから見上げるようにして俺の目を見る。
 どうも、ベルは何かを聞くとき、必要以上に顔を近づけてくるクセがあるらしい。

 可愛いだけに、見ていて心臓が悪い。

「いや、……なんつーか、さ」

「…?」

 ベルは、じーっと、言葉を待っている。
 その素直な瞳を見てると、なんとも話を切り出しにくいのだが。

「俺を助けたのって、なんでだ?」

 これだけが、どうしても分からなかった。
 この女の子が、あの時に戦ったベルゼブルだということもしっくりこないのだが。
 もしそうだとしたら、捕まえておいてそのまま部屋に置いておくだけ、というのは、ない気がする。
 あんまり考えたくはなかったが、なにか理由があるんじゃないかと思ったのだ。

 だが…。

「………………………ん…」

 ベルは、それを聞かれるととても困った顔をした。

「言いたくないんなら、無理して言わなくてもいいけどな。命助けて貰って大感謝してるんだ。
それ以上、文句を付けるつもりなんてないからな」

 意外なほど困った顔をするベルに少しだけ驚きながら、俺は慌てて言葉を打ち消した。
 だが、ベルは小さく首を振ると、口を開く。

「…カエルさん、正義のヒーローでしょ?」

 ベルの口から出し抜けに出た言葉に、俺は思わず口を間抜けに開く。

「…………はぁ?」

 だが、ベルの目は、このうえないというほど真剣だ。

「だから、教えて貰おうと思って。正義のヒーローって、どんな風に考えて、どうやって戦えばいいのか、とか……」

 少しだけ熱っぽい目で、無茶な言葉を次々とかけてくる。
 俺は、慌ててベルの両肩を掴んだ。

「ちょ…ちょっと待った!」

「…?」

 言葉を遮られて、ベルの顔が不思議そうにまばたく。

「……俺は、正義のヒーローじゃなくて、悪の怪人だ!」

 言っててなんだか色々と疑問を感じたが、一応、肩書き的にはコレであってるはずだ。
 少なくとも、ガマイソギンチャクの時点でヒーローはないだろう。

「でも、子供達とか、保母さんとか、助けてたよね?」

「……まぁ、あれは勢いだ」

「それに、殺そうとしてたわたしにまで、律儀に自爆するって事教えて」

「まぁ、アレは……やけっぱちというか、どうでも良くなってたというか」

「でも、どうせ死ぬなら、道連れにしようと思うのが普通だよ?」

「そうか? ……それは、思いつかなかったな」

 なんだか、問い詰められれば問い詰められるほど、怪人としてのアイディンティティが崩れていくような気がする。
 いや、別にそんなアイディンティを確立する必要はないんだが。

「とにかく、カエルさんは、正義のヒーローだよ。…じゃなかったら、正義の怪人」

「うぅぅむ……別に、正義のつもりじゃないんだがなぁ…」

 俺は、なんか恥ずかしくて頭をポリポリと掻いた。
 まぁ、言われてて困る言葉でもないし、無理に否定するのは諦めよう。

「でも、正義の戦い方なんて俺は知らないぞ? 俺のやりたいようにやっただけだし、
別にそれが正しいかどうかなんて俺は考えてない」

 とりあえず、これだけは確かめておく。
 強いて、俺のあの行動の理由があるとすれば、結社とか、力があるから暴力とか、
そういう考え方にとにかくムカついていたからだ。
 悪への怒り、とか言われたら、途端に勢いが萎えそうな気がするが、まぁ、そんだけのことである。

 だが、俺の言葉に、ベルは顔を伏せた。

「……でも、わたしだったら、敵を倒すことしか考えない」

 少し落ち込んだような少し固い声は、まるで初めて聞く声みたいに聞こえる。

「今までは、それでいいと思っていたけれど。カエルさんの行動と、被害者がみんな無事だったって報道を聞いたとき、
それでいいのかなって思ったの」

 俺は、ベルのこれまでの戦いを詳しく知っている訳ではないが。
 その言葉にはりついた、後悔というか苦しさというか、そういうのは、なんとなく分かった。
 だからって、かける言葉はないし、そういうのを一発で帳消しに出来るような便利なセリフは持ってない。

「……だから、教えてもらおうと思って」

 じっと見上げてくるのは、やはり、素直そうな瞳だった。

 しかし、俺は突っ込まずに入られなかった。

「……………………………それで、抱き枕にしたのか?」

「抱き心地が気持ちよかったの〜…」

 むーっ、と唸って赤面しつつ、答える。
 まぁ、なんとなく、この娘の思考回路が分かった気がする。

「……分かった分かった。教えれるかどうか分からないけど、悪との戦いなり、正義の探求なり、手伝ってやるよ」

 ぽふぽふ、と頭を撫でると、ベルは、それはもう嬉しそうな顔をした。
 うむ。これだけで、今の台詞を言った甲斐があった。

「でも、いいの? カエルさん、無理矢理改造されたんでしょ? 元の生活とか…」

「なに、連絡の一つでも入れりゃあ安心するだろ。それに、どうせ大学出たのはいいが、
就職も決まらずフラフラするだけの生活だし」

 未練がないわけではないし、俺のことを心配している人間も少しはいるだろうが。
 今さら、こんな体になって戻っても、元の生活に戻るのは無理だろう。

 それに、ベルのことが、それなりに気に入り始めていた。
 ベルゼブルは死ぬほど怖いが、少なくとも女の子のベルは、慣れると可愛い。

 今も、俺の顔を嬉しげに見上げて、じっと……?

「…カエルさん、大学生だったの!!?」

 何故か、もの凄い期待に満ちた目で、俺を見ている。
 キラキラと輝く目は、救い主を見付けた迷い子……というか、不幸を押し付ける相手を見付けてラッキーという感じで。。

「…あ、ああ、一応……」

「………今日の宿題手伝って!!」

 電光石火で突き出されたのは、宿題らしい数学の問題集だった。
 全く分からないこともないが、そもそも高校3年にもなって宿題はないような気が…。

 …………ベル、お前は本当に高校3年なのか?

「……手伝って!」

 ぐぃぃぃ、とさらに問題集が突き出される。
 俺に選択の余地は無さそうだった。

 というわけで、それから数時間。
 ベルの部屋では、机に向かって宿題をこなすベル本人と、部屋の丸テーブルにちょこんと正座して
宿題をさせられている俺の姿があった。

「うむむむむむ〜………カエルさん〜。ここの英文、どう訳すの〜?」

「ああ、そこは……たぶん、ここの単語の意味を引っ張ってだな……っつーか、
ドイツ人の血が流れてるんなら英語ぐらい分かれよ」

「育ちは日本だもん〜♪」

「まぁ、そりゃあしょうがないよな…………ところで、ここの問題解くのに使う公式って、どんなんだったっけ?」

 そんな感じで、夜は更けていく。

 正義の戦いの助っ人は、まだ当分無さそうではあったが。
 ………まぁ、それなりに、これから楽しい生活になりそうではあった。


おまけ
「ところで、夜寝るときは、また俺は抱き枕か?」

「うん」

「………やっぱり、ハダカで寝るのか?」

「そうだけど、嫌?」

「…………嫌っつーか、ヤバいだろ、それは。俺は適当に床ででも寝てるから、お前はベッドは一人で寝ろ」

「えー? やだ、抱き枕ないと寝れない〜〜」

「あのなぁ…俺はともかく、背中のイソギンチャクが…」

「…?」

「……まぁ、男の生理現象だ」

「イソギンチャクが?」

「……………うむ」

「……へん」

「なんとでも言え。子供相手に………なことが出来るほど、俺は変態じゃない」

「え〜〜、変態でしょ?」

「違う!!」

「カエルだけに……変態かな〜…なんて♪」

「……………ああ、なんか無性に将来を悲観して死にたくなってきた…」

「それにね〜、カエルさんなら、食べられちゃってもいいよ?」

「う、な、なな…なにをいきなり…ヘンなこと言うな。俺が、そんな誘惑にのるとでも…」

「カエルだけに、ハエを食べるでしょ?」

「………………………やっぱ、カエル人生やめて、死のうかな」

「…えへへ〜♪」



あとがき
すいませんんんんんっ、〆切に間に合いませんでした。
それでも快く掲載して下さった管理人様に、本当に心の底からの感謝です。

そして、そんなダメもの書きの文章を最後まで読んでくださった方にも、感謝です!

ヒーローものなのに、怪人が主人公にするという冒険に挑戦したものの、難破にあって船が座礁して、
ふと気付くと孤島で一人ロビンソン・クルーソーに。そんな話です。

前より読みやすくなってるといいなぁ、と思いつつも。
話としては確実に破綻してます。
やはり、余裕をもって書ける人は凄いです。

では、次回こそは〆切に間に合うことを祈りつつ。また。