怪人ガマイソギンチャクの不幸な人生
作・スイカの名産地


      *

 俺は、怪人ガマイソギンチャクである。

 やたらにみずみずしい緑色のボディは、全長2メートルの二足歩行するガマっぽい感じで、
背中には大きいが割と薄めのイソギンチャクが一つへばり付き。
 ガマだけにジャンプ力は20メートル以上軽く跳ぶほどで、指もエラこそ付いているものの、
指先部分が長くそれなりにものを掴んだりできる。

 特殊能力は、3メートル近く伸びる舌による打撃と、背中のイソギンチャクの触手部分による絡みつき攻撃。
 そして、一度背中のイソギンチャク部分に敵を引きずり込んでしまえば、その奥にある針の強力な麻痺毒で、
敵の自由を完璧なまでに奪うことができる。

 ……他にも、もう一つ、一生使いたくもないような悪趣味な能力があるということはあるが、
その能力については個人的に存在の意味を感じないので、説明を割愛する。

 そして、これが一番重要なことだが……。


 人間の姿になったりは、出来ない。


   *


 もちろん、俺だって生まれつきこんな姿だったわけではない。

 話は、かれこれ今から一ヶ月前にさかのぼる。


   *


 俺は、大学の卒業を数ヶ月後に控えて、就職活動に走り回っていた。

 俺が通っていた大学は、ひいき目に見ても三流としかいえない大学で。
 ぶっちゃけこの就職難の時代では、当然コネもなく就職するのは難しく、
このままでは大学卒業と同時に路頭に迷うこと必至の悲惨な状況だった。

 だから、とてもじゃないが採用してもらえるとは思えない、それこそ、無事に入社さえ出来れば一生安泰という、
文句の付けようのない一流企業。
 そんなレベルの高い会社であっても、藁をもすがる……あるいは、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、という気持ちで申し込んだのである。
 とりあえず試験の申し込みはタダだったし、試験会場も近いから、このさい練習がてらに受けてみるか……という考えもあった。

 それが、間違いの始まりだった。

 試験の数日後、一次審査を抜けたという通知が、第二次入社試験の案内と一緒に送られてきた時には、
俺は大喜びで案内通りに第二次入社試験会場へと向かった。
 だから、第二次入社試験の会場がやたら人里から離れた山奥だったり、
“試験会場について他者に漏らさないでください”なんていう注意書きがあったことも気にならなかった。

 ………気にしろよ、俺。

 いや、気にならなかったというわけではないが、あまりにも有頂天になりすぎてて、
“一流企業となると不法な手段で入社試験に受かろうとするヤツとかいるだろうから、防止のためなんだろうな”とか、
勝手に思いこんでたのである。
 なんか怪しい宗教の勧誘のようだ、なんてことも1ミリほど思ったが、その時はそれ、
雲行きが怪しくなる前に抜け出せばいいや。と、楽観していた。

 しかし、現実は俺の想像のさらに遙か上をいっていたのである。

 会場に付くなり、ガシャコンと閉じられた鋼鉄の扉。
 そして、壇上に現れたのはのは、どう見ても会社員に見えない、
むやみやたらに怪しげな軍隊かぶれで半分サイボーグっぽい眼帯のオッサンだった。
 そして男は、片手をピンと斜め上に伸ばしつつ、高らかに宣言したのである。

『君達が入社しようとしていた一大企業はしょせん仮の姿。我らの真の姿は、
世界征服を目的とする巨大秘密結社ブラックファルコンである!!』

 ……と。

 それまで、会場の準備などをしていたスーツ姿の社員達はみんな面白い仮面被った全身タイツの姿に変わったていて、
とても“ジョークです”という雰囲気ではなかった。

 俺を含む新入社員全員は、新入社員のための説明ビデオが流され、
モニターごしにブラックファルコン首領の激励(なんか画面暗くて顔とかサッパリ分からなかったが)が流されている間、ただひたすら呆然としていた。

 そして、呆然としたまま入会式が終わり、新入社員達は全身タイツの仮面の男達……いや、ぶっちゃけて言ってしまえば、
『戦闘員』達に、訓練場とやらに連行されていった。
 当然、俺も一緒に連行されていくはずだった。

 しかし、入会式の間ずっと壇上の端の方で黙っていた、体型の割にデカめの白衣を着た、やたら背の低い眼鏡の女が、
俺のことを気に入ったらしい。

 俺は、何故か真っ直ぐに『手術室』とか表札の付いた部屋へと連れて行かれた。

 麻酔で遠のく意識の中、手術台を照らす眩しい明かりと、恍惚とした表情でメスを握る眼鏡女の顔が
ぼんやりと見えたのを憶えている。
 それが、俺が人間の目で見た、最後の光景になったからだ。

 こうして、俺の、人間として過ごせる普通な人生は終わりを告げた。


   *


 そして、現在。

「わーんわーんわーんわーんわーん」

 たくさんの子供達の泣き声がバスの中に響いている。

 俺は、幼稚園の送迎バスの真ん中で、左右に並ぶ小さな椅子に座る、たくさんの小さな子供達に囲まれて、
ぼんやりと突っ立っている。

 今、送迎バスは、子供達を送り迎えするルートをとっくに外れて、人気のない深い山奥の道路を進んでいた。
 窓の外を見ると、鬱蒼と茂った森だけが見えていて、対向車の姿など一台もない。

 ようするに、この幼稚園の送迎バスは、バスジャックされていた。
 それも、俺と、もう一人の相棒に。

「わーんわーんわーんわーんわーんわーんわーん」

 子供達は、一向に泣きやむ様子はない。

 そりゃ、そうだろう。
 送迎バスの中央に立つ俺は、誰がどう見ても怖い。
 背中のイソギンチャクは、俺の意志に反して勝手にざわざわと蠢くのをやめないし、
俺自身の見た目のインパクトというのは、冗談で済まないほど怖いのだ。

「わーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーん」

 とはいえ、これだけ泣かれると、いくら外見が巨大カエル+毒々しい色のイソギンチャクだからしょうがないと分かっていても、
さすがに悲しくなってくる。
 まぁ、ヘタに暴れられたりするより、よっぽどいいんだが。

「おい、ガマイソギンチャク! さっきからガキどもがうるせぇよ!」

 子供達の泣き声にキレたのか、運転席の横に前屈みで立った身長1メートル半ほどのデカいカニが、耳障りな声で喚く。

 その脇では、脅された運転手が、顔面を蒼白にしたまま運転を続けている。

 こいつが、俺の仕事の相棒ということになる、怪人ヤゴキャンサーだった。
 見た目は、直立歩行するでかいカニそのまんま。
 ただし、下顎が、映画のエイリアンの如く折り畳み式で伸びるグロデスクな形をしているせいで、
声などが実に聞きとりづらい。

「2.3人始末してやりゃあ、少しは大人しくなるだろォ!?」

 ドガンッ…と音を立てて、巨大なハサミの形の腕で出入り口の窓枠を叩く。
 窓に亀裂が入った。

「わーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーん
わーんわーんわーんわーんわーんわーん」

 怯えた子供達が、いっそう高く泣き声を上げる。

「…や、やめて…お願い、子供達は…」

 保母さんらしい、若い女性が、掠れた声でヤゴキャンサーへと哀願する。
 ヤゴキャンサーは、俺から見ても気絶したくなるほど凶悪な姿をしている。そんな化け物に、
意見を口に出来るこの保母さんを、俺は尊敬した。
 俺は、胸がチクリと痛む。

「……へっへっへっ、なんなら、お前から殺してやってもいいんだぜぇ?」

 カニ怪人の巨大なハサミが、保母さんの首筋に伸ばされる。

「……ひっ…」

 保母さんは、ひきつった悲鳴を微かに上げて、絶望的な目でハサミを見た。
 ヤゴキャンサーは、その表情に満足するように、ハサミをじわりじわりと近づけたり離したりしている。
 コイツは、完全にこの状況を楽しんでいるゲス野郎だ。

 ……だが、今の状況では、俺だって人のことは言えない。
 まぁ、それでも、この作戦の目的が子供達じゃないだけ、マシだ。

「ヤゴキャンサー! やめとけよ、無駄に人を殺してるヒマがあったら、ヤツに備えろ」

 鬱陶しげに俺が言うと、保母さんをいじめるのに夢中になっていたヤゴキャンサーが、
頭の外に張り出した一対の黒い目で、俺をジロリと睨む。

「あァ? 人の楽しみを邪魔してンじゃねぇよ!」

 耳障りな怒声に、保母さんがひっと身をすくめて怯える。

「ヤツさえ倒せるなら、なにやってもイイって命令だろうがァ? せっかく好き放題やれるんだ、楽しんでやろうぜェ!?」

 耳障りで、下卑た笑い声を上げるなり、ヤゴキャンサーのハサミが保母さんの上着だけを、ザックリと引き裂いた。

「きゃあああああっ!」

 白い肌が露わになり、保母さんが悲鳴と共にヤゴキャンサーの手から逃れようとする。
 だが、逃げようとする前に、ヤゴキャンサーが保母さんを足で乱暴に蹴りだして、保母さんはバスの中央へと転んだ。

 だが、ヤゴキャンサーは保母さんを追わず、俺の方を見た。

「へっへっへっ……おい、ガマイソギンチャク。せっかくだから、このオンナにアレをやってやれよ。お前だって、タマってんだろォ?」

 ヤゴキャンサーの言葉に、俺の背中に生えている無数のイソギンチャクの触手たちが、ざわりと蠢きはじめる。
 俺の“命令”を無視して、触手達が動こうとしているのを感じる。

 俺の目の前で上半身だけを起こした保母さんが、必死に肌を隠そうとしながら、俺を悲痛な目で見上げた。
 その目の中の絶望が、俺の頭の中に、冷えた怒りをふくれあがらせる。

「……ふざけるなよ」

 俺は、ヤゴキャンサーに、かなりムカついていた。

 こいつの性格は、怪人の姿に改造されたからでも、秘密結社に従っているからでも、
腰に取り付けられた裏切り防止の爆弾入りのベルトのせいでもない。
 何故なら、結社は、俺達を改造こそしたが、『洗脳』したりはしてないからだ。

 証拠に、俺自身、頭の中は誘拐されて改造人間にされる前と全く変わってない。
 結社の教育カリキュラムという名の『洗脳』こそ受けたが、俺がそのカリキュラムを受けて感じたのはただのムカつきだけで、
とても結社に盲信する気にはなれなかった。

 ヤツも、似たようなもんだろう。
 ただ、改造された結果に得たこの化け物じみた外見と力に酔ってるのだ。
 そのうえで、結社の命令に従ってる方が自分に都合がいいから、そうしている。

 ムカつく。

 何よりムカつくのは、コイツが、怪人になったおかげで自分が今までよりも偉くなったと本気で思ってることだ。

「………ふざけるなよ、ヤゴキャンサー。俺達の命令は、ヤツを倒すことだろ? そんなヒマがあったら、自慢のハサミを磨いてろ」

 言って、保母さんから目を逸らす。
 背中の触手は、まだ名残惜しげにざわめいていたが、耐えられないほどじゃない。

「チッ……つまんねぇヤツだなァ? ちったァ、言うこと聞けよ。俺がヤツに負けちまったら、お前サンの方がヤバいんだぜェ?」

「……………だから、命令に集中しろって言ってるんだよ」

 俺は、腰に付けられたベルトを無意識に見ながら、つとめて平静を装って返事を返した。

 ベルトのバックルは、秘密結社ブラックファルコンのマーク、すなわち黒い鷲のシンボルが取り付けられている。
 そのバックルには、盗聴装置から、追跡装置、それに自爆装置まで兼ねている。
 バックルが体から外れるか、本部が自爆スイッチのボタンを押せば、その瞬間に俺の体が木っ端微塵に吹き飛ばされる仕組みだ。

 ………下手なことは言えない。

「………それに、子供の泣き声は、都合がいいだろ?」

「ハァ?」

 俺の唐突な言葉に、ヤゴキャンサーが不思議そうに突き出た目をくりくりと回す。
 俺は、わざとらしく手を左右に広げて、続けた。

「この泣き声を聞いて、きっと……例のヤツが来る。俺達の目的は、そいつだ」

 俺の言葉に、ヤゴキャンサーはやっと納得して、いらだたしげに俺に向けようとしていたハサミを下ろした。
 そして、楽しげに、耳障りな声で笑い出す。

「クックックックッ、ハッハッハッハッハッハッ!!」

「わーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーん」

 子供達の泣き声がいっそうに高まる。
 子供達の多くは、目を固く閉じて、耳を塞いでなにかに耐えようとしていた。

「そうか、そうだなァ! オレ達の目的は、ガキなんかじゃねェ…」

 顔の前側に突き出た、カニの目が、禍々しく光る。

「俺達が血祭りにあげるのは………」

 そして、そのハサミがもう一度、窓枠に叩き付けられ……ようとして。

 その時。

 出し抜けに、カニの硬い甲殻で覆われた身体が、斜めにズレた。
 まるで線で引かれたように、身体が斜めにスルリスルリとズレていく。

 俺が、「あ」と思わず声を上げる。

 次の瞬間、バスの入り口の扉を突き破って、黒い影が一つ、外からバスの中へ飛び込んだ。

 影がバスの中に着地すると同時に、ドサリとヤゴキャンサーが倒れる。
 白とピンク色のカニ味噌が、バスの床に派手にぶちまけられた。
 かすかに痙攣を始めていたが、起きあがる様子はない。

 ……どう見ても、ヤゴキャンサーは即死だった。怪人でも、頭部だか胴だかを真っ二つにされてしまえば、絶対に助からない。

 そして、影はまっすぐに立つと、俺へと向き直る。

 昆虫を思わせる、黒い外骨格…いや、黒い鎧にしか見えない、人間と同じしなやかなシルエットの戦士が、そこに立っていた。
 その肩口から伸びた、一本の黒い蟷螂のカマとも、奇妙な形の片羽の羽根とも見える部位が、ギチリと、動き、背中に畳まれる。
 無表情に睨み付けるような、楕円の複眼が、俺を正面に捕らえる。その黒い仮面には、どんな表情も見ることが出来ない。

「…………ベルゼブル」

 乾いた声で、俺は呟く。

 それが、この目の前の戦士。
 秘密結社ブラックファルコンに単身で立ち向かう戦士の、ただ一つの呼び名だった。


    *


 ベルゼブルが、俺の方へと、一歩、足を踏み出す。
 ギチリ…と、鋼鉄の軋むような音に、背中がおぞけだつのを感じる。

 瞬間、背中の、先ほど折り畳まれたカマのような部位が微かに動く。

 それがヤゴキャンサーの装甲をも寸断する強力な武器なのは、今までの結社とベルゼブル戦いから得た情報で既に知っていた。
 だが、ヤゴキャンサーはこの人質だらけのバスの中でいきなり使うとは予想しておらず、
さらには不意打ちに対して備えていなさすぎた。

 そして、それだけの威力の武器を、俺の皮膚で止められるはずもない。

「わーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーんわーん」

 ヤゴキャンサーの死体と、突然の乱入者に怯えた子供達が、泣き声を張り上げる。

「ああもう、畜生ッ!!」

 俺は、躊躇わずにジャンプした。

 ただし、ベルゼブルの方へ、バスの天井に貼りつくほど高く。

 壁に背中が張りつくと同時に、背のイソギンチャクの部分を天井に張り付ける。
 ギリギリでやり過ごしたカマの斬撃が、風圧になって俺の足のすぐ下を通り抜けていくのが分かる。
 正直、恐怖のあまり頭が白くなりかけていたが、もう、選択の余地はない。

 天井をふたたび蹴って、ベルゼブルのすぐ脇に着地する。

 ヤツの赤い目が光るのと、俺がヤゴキャンサーの骸の足を掴むのとはほぼ同時で。

「ヴゥゥゥン!!」

 俺がバスの床を蹴ってヤゴキャンサーの下半身を手にバスの入り口から飛び出すのと、
ベルゼブルの腕が凄まじい速度で空中を薙いだのも、同時だった。

 触手が何本か、引きちぎれる。
 痛みに耐えながら、俺は運転手に声の限り叫んだ。

「そのまま止まるな!! 全速で走り抜けろ!!!」

 声が届いたかどうかは分からないが、俺はなんとか車道の端に着地した。
 すかさず、掴んでいたヤゴキャンサーの足を離す。

 ヤゴキャンサーの下半身……その、ベルトのバックルが、カチリと音を鳴らす。

 俺は、すかさず道路を離れて森の方へと高く跳んだ。
 背後で、小さな爆発がヤゴキャンサーの骸を跡形もなく消し去る音が聞こえた。

「……バカが」

 別にヤゴキャンサーの死を悼むつもりもないが、死んだら死体さえ残すまいとする組織のやり方も、
それにあっさり乗ったヤツも、ムカつく。

 だが、俺が生き残るには、あいつの骸を何故外に投げ捨てたかの説明を、うまいこと結社の幹部にしなければ。
 じゃなきゃ、今度は俺の方がベルトの爆弾を使われる番に……

 そんな思考を打ち消すように、俺の耳に、ヴゥゥゥゥン、と耳障りな音が聞こえた。
 蝿の羽音を何倍にもしたような、あまりにも耳障りな音。

「……なッ!?」

 空中で、俺は身体を捻った
 爆発を警戒しすぎて、高く跳びすぎたことを後悔する。

 そして、身体を捻った俺の視界に黒い影が映った瞬間、胴体に凄まじい灼熱感が走る。

「…っかぁ……!!?」

 蹴られた、と気付いたときには、俺はすでに地面に吹き飛ばされ、森の中に倒れていた。
 へし折れた木が、ミシミシと音を立てて俺の周りに倒れる。

「………でっ…でたらめに、強ぇ…」

 立ち上がろうとしたが、足がマトモに動かない。
 この化け物にしか見えない俺の体でも、ダメージはまず足から来るらしい。

 ふわり…と、目の前にベルゼブルが着地する。

 そして、立ち上がろうともがく俺の前に、ガチリ…ガチリと足音を立てながら、背中の羽根を仕舞いながら、
ベルゼブルがゆっくりと近付いてくる。
 複眼に似た瞳は、虚ろに俺を睨むだけで、表情なんかはまるで分からない。

 とっさに、俺は背中に生えている触手に『命令』を下した。
 俺の意志に従った触手達が、一直線にベルゼブルの身体を絡め取ろうと伸びる。

 だが、ベルゼブルはすかさず手を一閃させる。
 連動して背中のカマが空中を刈りとり、触手達は一瞬で両断された。
 さらに、もう一度、逆の手をベルゼブルが振ると、触手は一本残らず切り裂かれて地面にボトボトと散らばる。

 だが、その隙に、俺はさらに跳んだ。

 道路から離れ、木々に覆われた雑木林を何度も跳ねて、俺は、人里から必死で離れた。
 跳ぶたびに景色が高速で流れていく。

 だが、再び。

 空中を跳ねる俺の背中に、ベルゼブルの飛び蹴りが突き刺さった。
 俺の腹を蹴りが貫通しなかったのは、背中に生えたイソギンチャクがショックをわずかとはいえ吸収してくれたからだろう。
 じゃなきゃ、確実に貫通したに違いない、とんでもない衝撃が、俺の背中を吹き飛ばし、俺は再び地面に一直線に落下した。

 草木の破壊された、さながらちょっとしたクレーターと化した地面に無様に転がる俺の側に、
ベルゼブルが背中の羽根を振動させながら、ふわりと着地する。

「……トドメを刺しに来たってワケか」

 俺の言葉に、ベルゼブルは答えず、ゆっくりと手を振り上げる。
 その目は、やはり、何の表情もない。
 そのせいかどうかは分からなかったが、不思議と怒りは沸いてこなかった。

 もう、俺もここまでらしい。
 俺は生き残ることをあきらめて、手足に力を入れようとするのをやめる。

 ただ、最後まで、結社にだけは仕返しをしてやりたかった。

「おい。とっとと逃げろ」

 いきなりの俺の言葉に、ベルゼブルが動きを止める。

「………俺のベルトには、メチャクチャ強力な爆弾が仕掛けられてるんだよ。
俺の敗北が決定した時点で遠隔操作で爆発することになってる」

 当然、俺の言葉も逐一『本部』に聞いているだろう。
 それでも、どうせ逃げることも生き延びることも出来ないんだったら、言えるところまで言ってやるだけだ。

「……んで、それが今、爆発するから逃げろって」

 ベルゼブルは、俺の言葉が分かっているのか分かっていないのか、腕を振り上げたままの姿勢で動きを止めている。

 俺の腰で、カチリ、と、ベルトが音を立てるのが聞こえた。

「……悪い。間に合いそうにねーわ」

 ベルゼブルが逃げなかったのに少し落胆しながらも、俺はそれなりに満足していた。
 少なくとも、あの幼稚園のバスのガキ共は、助かったはずだから。

 そして、俺の言葉を最後が終わると同時に、俺の視界は、白い閃光に包まれる。

『痛くなくて良かった』

 最後の瞬間に俺が考えたのは、ただ、そんなことだった。




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